「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 香春神社 = 香春ノ神は又比売語曽神社、新羅から来た白石の童女が、卑弥呼?

※ 倭国大乱と卑弥呼
 (平成三〇年七月八日(日)、主催:田川広域観光協会、於:福岡県立大学大講義室)より

 豊後の国埼郡の比売語曽神社(大分県
姫島村)とする説が有力だが、豊国国前
郡を豊前田川郡香春だとする説
も古くか
らある。
 都怒我阿羅斯等は本国にいた時、白石
を寝室に置いていたら、その神石が美し
い童女
となった。
 阿羅斯等は喜んだが、留守の間に童女
が消えた。
 その足跡を追って海を渡り、日本国
来た。
童女は、難波に行き比売語曽(ひめこそ)となり、
豊国国前(くにさき)郡に到って、また、比売語曽社
の神
になった。
「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
垂仁天皇

 都怒我阿羅斯等の本国、意富加羅(おほからの)国は、任那(みまな)である。

 

 繰り返すが、真の「倭三山」(香春
岳)は白石の山だったのである。
 「太宰管内誌」にも、「谷川氏云う、
香春ノ神は又比売語曽神社と号す」と
ある。
(『古宮八幡宮と宇佐神宮の御神鏡』
から採録)
 香春神社の縁起の一節に、「韓地に
於ける大姫命の霊
は、実に白石の玉
示し給う。
 しこうして、この三山は白石幽妙(ゆうみょう)
の神縁
なり。
 けだし、上古より、この山に臨座有
り」とある。
「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
垂仁天皇

 香春神社の縁起の一節にある「三山」は、香春岳である。石灰岩の山である香春岳が、真っ白な山であったと
何度も何度も言ってきた。
 その白石の関係するわけである。

 『太宰管内誌』にある「香春ノ神」について、香春町役場前に豊前國風土記逸文の石碑が建っている。その中に
「昔、新羅の神が、川原に来て、鹿春の神と号した」と書かれている。鹿春と書いて「かわら」であり、「香春の神」
と言っている。

 

香春ノ神は
比売語曽神社!
「比売」社
   (語曽)


  

卑弥呼?

※ 村社 講平
韓地に於ける大姫命
 「白石の玉」

倭三山(香春岳)
  白石の山
  霊は白石の玉
「写真(香春岳)」
「写真(香春神社)」
「写真(香春神社の祭神)」

 香春神社の第一座の祭神が、辛国息長大姫大目命であり、神代に唐の経営に渡らせ給ひとあるが、私に言わせると
「唐」は、「韓」と字が間違っている。崇神天皇の御代に御帰国せられ香春一ノ岳に鎮り給ふとあると香春神社が
書いている。偶然ですか?

 香春ノ神は、比売語曽神社の書き方を変えた。昨日、香春郷土史会の柳井さんから聞いたばかりであるが、比売
語曽の「語曽」というのは、神社の「社」という意味である。昔、オリンピックの選手に村社 講平(むらこそ こうへい)
という方がいました。「社」は、「こそ」である。  

 比売語曽の固有名詞は、「比売」である。比売大神を祭っている有名な九州の神社が、宇佐神社である。比売大神=
卑弥呼となりはしないかと言いたい。

 香春神社に任那(後の新羅)からやって来た白石が童女に変わったあの童女こそが、卑弥呼ではないだろうか?
『日本書記』では、大物主神の妻、倭迹迹日百襲姫命である。

 

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