「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
以下、『 天香山争奪戦 』の5ページより
神武の陵 が香春に現存する。
『記』に「御陵は畝火山の北方白檮の尾上に在り」と記され、『紀』 に「畝傍山東北陵に葬りまつる」とある陵こそ、地元の方々が千数百年の長きにわたって守って来られた「香春のおおきん(大王)さん」である可能性が最も高い。
記述どおりの位置にあり、大王の名が示されていないことにむしろ最大の根拠があると、私には思われてならない。初めて明記する。
『古事記』には137歳で亡くなり「御陵在畝火山之北方白檮尾上也」 御陵は、畝傍山の北の方の白檮の尾の上にありと記されており、『日本書紀』には127歳で亡くなり「葬畝傍山東北陵」畝傍山の東北陵に葬ると記されているが、136年春三月、神武天皇、崩御。享年67歳と考えている。
(*) 神武天皇の没年 については、こちらをご参照下さい。
※
神武天皇は、「 邪馬臺国(邪馬台国)年表 」の137年に畝尾山(香春岳 一ノ岳)の東北の位置にあたる畝尾山東北陵に埋葬された。
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鏡山神社の長い階段の手前に左に向かう小道があり、その先に河内王の墓がある。その上の場所に地元で、「おほきんさん」と呼ばれている弥生時代の円墳がある。
<おほきんさん(神武陵)>