「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 近つ飛鳥・遠つ飛鳥時代 蘇我氏は「みやこ町」にいた
(令和三年睦月二六日収録、第19回 古代史講座 第二部、主催:田川広域観光協会、撮影・編集:豊の国古代史研究会)
崇峻天皇の時代にやっと敏達天皇(葬譯語田天皇)が磯長陵に葬られる。それが、みやこ町の最後の前方後円墳である庄屋塚古墳である。
敏達天皇は、母親と一緒の陵に葬られた。敏達天皇は、前方部の手前側(●印)に葬られ、後円部(●印)に母親が葬られている。
※ 聖徳太子の正体 蘇我氏は「みやこ」にいた
(平成29年6月3日 みやこ町歴史民俗博物館。4 日 嘉麻市NICO)の講演より
「 天皇家と蘇我氏の歴史⑤ 崇峻天皇 」 より
四年夏四月壬子朔甲子、葬譯語田天皇於磯長陵、是其妣皇后所葬之陵也。
敏達天皇がやっと葬られている。みやこ町勝山黒田にある庄屋塚古墳(地図3)のようである。六世紀中頃に
築かれた前方後円墳である。
磯長陵とあるので、橘塚古墳(地図1)の近くであること、橘塚古墳よりも少し古いことから、推測できた。
ヲサタ天皇の呼称と関連して、すぐ近くに「小長田」の地名も遺されている。庄屋塚古墳には母の石姫と
その子の敏達天皇が眠られているらしい。
<所在地のGoogelマップ>