「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※
福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 真実の人徳天皇-香具山に登りて望國したまふ天皇」の資料「 宇治の京 村高完成版 」の5~7ページの難波高津宮についての記述があります。
以下、抜粋。
高山 の発見後に、別の一行と再び高山を訪れたところ、西向かいに五社八幡神社を見出した。小高い丘の上に鎮座する宮である。登ってみると、左右に回廊を備えた立派な造りの拝殿があった。
この時は、祭神も分からずに引き上げたが、数ヵ月後にまた別の一行と訪れた際に、拝殿の一隅に質素な由緒書きがあるのに田中肇氏が気づかれた。
そこには、仁徳天皇が祭神の一柱であることと、「なぜか分からないが、聖帝伝説がこの地に伝えられている」との説明が施されていた。その瞬間に、この宮が仁徳天皇の難波高津の宮跡であるとの確信に至った。
気がつけば、すぐ北には何度も訪れた、七~八世紀の古代寺院、 椿市廃寺 がある。そこは、著名な四天王寺式伽藍配置。この寺こそあるいは難波四天王寺ではないかと推測される。
行橋市入覚は古代淡海の最奥部に位置し、その名残の溜池も散在する。「波立ち難し」の「難波」の地に相応しい。
<五社八幡神社(難波高津宮)>
<五社八幡神社の回廊>
<所在地のGoogelマップ>