己未年(一一九)の春二月の壬辰の朔辛亥に、諸將に命じて士卒を練ぶ。是の時に、層富縣波哆丘岬に、新城戸畔といふ者有り。又、和珥の坂下に、居勢祝といふ者有り。臍見の長柄丘岬に、猪祝といふ者有り。此の三處の土蜘蛛、並びに其の勇力を恃みて、來庭ふことを肯ぜず。天皇乃ち偏師を分け遣はして、皆之を誅さしむ。又高尾張邑に土蜘蛛有り。其の爲人や、身短くして手足長し。侏儒と相類たり。皇軍、葛の網を結きて掩襲ひ之を殺す。因りて改めて其の邑を號けて葛城と曰ふ。夫れ磐余の地の舊の名は片居。亦は片立と曰ふ。我が皇師の虜を破るに逮りてや、大軍集ひて其の地に滿めり。因りて改めて號けて磐余と爲ふ。