「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 字 大原(おおばる)にある大楠の所、貴船神社 =「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)」の地

 飛鳥浄御原宮は、7世紀後半の天皇である天武天皇と持統天皇の2代が営んだ宮。

 福永晋三先生の「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 それは香山(かぐやま)の東にあった!」の資料「 狂心の渠と吉野宮 」の9ページに『赤村に「 岡本 」の字名があり、 そこに「光明八幡社(三百年余り前は我鹿八幡社が鎮座)」がある。
 その宮を「(後)飛鳥岡本宮」跡と比定し、その南「大原」にある貴船神社の辺りを「飛鳥浄御原宮」跡と大胆に比定した。』とあります。

■ 『日本書紀 天武紀上 元年』

 是歳、宮室を岡本宮の南 に営る。即冬に、遷りて居します。是を 飛鳥浄御原宮 と謂ふ。

■ 『日本書紀 天武紀下 朱鳥元年 秋七月』

 戊午に、元を改めて朱鳥元年と曰ふ。 朱鳥、此れをば、阿訶美苔利と云ふ。 仍りて宮を名けて 飛鳥浄御原宮 と曰ふ。

※  魏志倭人伝を解く!
  宗像(神湊)が末盧国なら邪馬台国は田川だ
 (平成28年8月7日、於 田川市民会館講堂)の講演より

 「壬申の乱」の後に飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)に遷った、とある。これが、大原にある貴船神社(大楠がある所)の地である。

「写真」

※  古代史フォーラム 古代田川に天皇がいた2
   平成30年3月21日(水) 於 福岡県立大学講堂より

■ 万葉集の証言(天武天皇と大原の里)

天皇賜藤原夫人御歌一首

一〇三
吾が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後

<雪の大原>

「写真」

 わたしの居る里(新京、後の藤原京=  福原長者原遺跡 か)には大雪が降っている。
 そなたの里の大原の旧都(飛鳥浄御原宮)に雪が降るのはまだ後だろう。

藤原夫人奉和歌一首

*.藤原夫人は鎌足の娘、字は大原大刀自(おおはらのおおとじ)

一〇四
吾が岡の おかみに云ひて ふらしめし 雪のくだけし そこに散りけむ

 わたくしの里の大原の闇龗(くらおかみ)(=龍神)に云いつけてふらせました雪の砕けましたのが、そこのあたりに散ったのでございましょう。大原の里に先に降りましたよ。

※  古事記を読む-神武から景行まで
 (平成28年9月25日、於 添田町町民会館)の講演で、白鳥の御陵の二基目「琴弾原」を大原に訂正。

 白鳥の御陵は、『日本書紀』に拠れば三基あり、二基目は、琴弾原にあると記されている。赤村の 琴弾の滝 の下流の大原に比定している。三基目は鞍手町の 古物神社 の辺りにあったことが『仁徳紀』に記されている。

 <所在地のGoogelマップ> ・・・ 「大原」は、大楠の場所(貴船神社)です。