天智天皇十年 ( 六七一) ・・・ 天智紀には、天智十年の記事が、天武紀は、天智四年と書かれている。
九月に、天皇寝疾不予したまふ。
冬十月の甲子の朔壬午(十九日)に、東宮、天皇に見えて、吉野 (山国町 若宮八幡 )に之りて、
脩行仏道せむと請したまふ。天皇許す。 東宮即ち吉野に入りたまふ。
大臣等侍へ送る。 菟道(香春町 阿曽隈社 )に至りて還る。
※ (天智天皇) (四年冬十月の)壬午(十九日)に、吉野宮に入りたまふ。
時に左大臣蘇賀赤兄臣・右大臣中臣金連、及び大納言蘇賀果安臣等
送りたてまつる。菟道より還る。
或の曰はく、「虎に翼を着けて 放てり」といふ。是の夕に、
嶋宮に御します。癸未(二十日)に、吉野に至りて居します。
(天武天皇 摂政前紀)
島台
安永神社
安永神社 鎮祭の由来