「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 神武山(神山  ⇒  上山)

※ 鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)射手引神社社伝による神武天皇東征の地(  東征コース  C:神武山

 神武東征コースの地「神武山=神山(現在の上山」は、鮭神社の東の山(150m程度)で、土地の老人の話では何度もお詣りに登っていたという山。

鞍手郡誌の神武東征コース
鞍手郡誌の神武東征コース
射手引神社社伝抄録
射手引神社社伝抄録
一、神武山(同宮野村、熊田村)
  カムタケ山といひしが今は單に神山といふ
『鞍手郡誌』「射手引神社社伝」(抜粋)

「神武東征の時」という伝承が、 高木神社 (嘉穂郡山田町大字熊畑字政處)の社伝に残されている。
「此の山を号して神武山と云ふ。今神山と云ふは略称なり。」とある。

 『鞍手郡誌』射手引神社社伝にある神武東征コースの地「神武山」の説明は、YouTube動画「2021年11月19日 新説日本書紀 第8回講座(7/7)」に射手引神社の桑野宮司が登られたとの話があります。
 その部分の動画は こちら 
からご視聴頂けます。

射手引神社社伝の神武東征ルートは、
神山は、「百谷」の西に当たるので、摺鉢山から「神山(現在の
上山)」を経て、馬見山に至ったと考えられる。
『鞍手郡誌』「射手引神社社伝」(抜粋)