「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 千手寺(せんじゅうじ) = 嘉穂郡に存在する天智天皇陵

※ 新説 日本書紀(第23回 速報:嘉麻市千手寺の天智天皇陵は、国有地だった )・・・  YouTube動画 
 (令和4年9月2日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市射手引神社上山田公会堂)より

 先帝の亡骸をそのままにできなかった人麻呂は、天智の第七皇子の志貴皇子などを頼って、土への埋葬を朝廷に願い出たのではないか。
 そう考えた時に、嘉穂郡に「天智天皇陵」が存在する。
千手寺  
 舊主天智帝之尊陵、亦在千手寺、
 (中略)  
 村中に千手寺あり、是に依て村の名とす、本尊千手観音なり、此寺山間に在て閑散なる地也、其側に石塔あり、里民は 天智天皇の陵なりと云、天智天皇の御子に嘉麻郡を賜はりし事あり 其人 天皇の崩じ給ふ後に是を立給ふと云ふ、然れども梵字など猶さだかに見ゆ、さのみ久しきものには非らず、いかなる人の墓前にやいぶかし。
            (嘉穂郡誌)
天智天皇は千手村に眠らる
写真「天智天皇陵」
 維新以前は此塔の横に当る道路には牛馬の通行を禁し凡そニ三丁前より左に当り替道を作り牛馬は之を通行せり
        (明治版 嘉穂郡誌)
 千手寺の天智天皇陵の伝承に気づくと、またも人麻呂の歌に次を見出した。
天智天皇は千手村に眠らる
地図「千手寺、天智天皇陵」
天智天皇は千手村に眠らる
写真「天智天皇陵」

天智天皇陵の土地は、財務省の雑種地(95㎡)となっている。

天智天皇は神でいらっしゃるから真木の繁る人気のない山中にお眠りになっても、天皇のご最期を思うと山中に海鳴のすることだなあ。        (訓読・解釈は福永)

 人麻呂は徹底して、亡き天智天皇を慕い、誠を尽くした。そのことが、人麻呂の晩年に暗い影を落とすことになる。
長皇子遊猟路池之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌
 或本反歌一首

皇者 神尓之坐者 真木乃立 荒山中尓 海成可聞          (二四一)

大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海鳴するかも
 千手寺の天智天皇陵の伝承に気づくと、またも人麻呂の歌に次を見出した。
天智天皇は千手村に眠らる
地図「千手寺、天智天皇陵」

<所在地のGoogelマップ> ・・・ 正式名称:福山 千手寺