「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 壬申の乱の舞台 糸田の「泌泉」は天智天皇の「漏刻」跡だった(平成28年11月27日、於 糸田町文化会館)の講演より
天智天皇が都を遷した近江大津宮は、漏刻が造られた場所(糸田町 泌泉 )の近くにあることになる。滋賀県の琵琶湖湖の
畔では無く、糸田町の宮山と思われる。
そこからは、中広形銅戈が出土している。現在、東京国立博物館に9本保管されている。古墳もある。宮山にある大宮神社が、
近江大津宮であろう。
■ 大津宮の候補地 大宮神社(宮山)
中広形銅戈 (東京国立博物館)
画像番号: C0020912
列品番号: J-34799
出土・国: 福岡県田川郡糸田町下糸田字宮山出土
時代: 弥生時代 後期
形状: 長38.7 関幅11.8 身幅7.0 茎長2.9 茎幅2.9
備考: 重512g
二ノ鳥居の奥に本殿があったが、朽ち果てれありません。
ここの草木を全部取り払えば広い敷地である。
ここにかつて、天智天皇の宮殿があったと想像している。
ここが、天智天皇の近江大津宮と思われるもう一つの
証拠として鳥居の真正面に倭三山( 香春岳 )が見える。
神社の直ぐ前を泌川が流れており、古代、水量が豊かな
時に遠賀の海から船で入って来れば、ここが、大津になる。
「大津宮」の「津」の文字を取れば「大宮」となる。
鳥居の前の川の所の字名が、浮殿という。
『日本書紀』 天智天皇六年の遷都した都は、「近江」と記されている。
三月辛酉朔己卯、遷都于近江。
『日本書紀』 持統天皇六年の条に、「近江大津宮」と出てくる。
復、上送大唐大使郭務悰爲御近江大津宮天皇所造阿彌陀像。
『海東諸国紀』
斉明七(六六一)年辛酉、白鳳と改元し、都を近江州に遷す。
*.天智天皇が、西暦六六一年に「白鳳」と元号を改元し、都を「近江大津宮」に遷した。
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<所在地のGoogelマップ>
*.鳥居前より香春岳(倭三山)を望む