「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
神功皇后が九州にお見えになった時、古処の山に住む羽白熊鷲という悪者退治が起源。
※ 新説 日本書紀(第20回 神功皇后③) ・・・ YouTube動画は、 こちら です。
(令和4年7月15日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市nico)より
※ 福永晋三先生のタイトル『東西五月行(統一倭国)の成立』の「 資料:東西五月行の成立 」の18ページの
鯷倭の興亡に「神功天皇(神功皇后) の征西」に「松浦鼎の熊襲を滅ぼす」の記述がありますが、
2016年3月講演『初代神武天皇は田川で即位した』以降は、下記の内容に修正されています。
肥前松浦は、神功皇后に滅ぼされた勝門姫の一族が、西に移動した後の松浦であった。田中和典さんの再発
見と新発見です。
田中さんの実家の糸島の宮地岳神社の祭神が勝門姫ということが判明したのです。
『仲哀天皇記』は、魏志倭人伝のマツロ国が最初から宗像の地である事を証明していました。肥前松浦をマ
ツロ国に比定した説は、すべて間違いとの結果が出ました。
勝門姫は宗像の「 釣川 」のほとりで殺されたようです。私の説も肥前松浦ではなく、筑紫松浦の事件と修正
します。
※ こちらが「神功天皇の征西」のページに続く、穴門豊浦宮からの「 氣長足姫尊の豊国北伐 」のページです。
※『謝承後漢書』の「楽浪郡~倭奴国まで12,000里」の記事が、『魏略』で「帯方郡~邪馬台国まで12,000里」
に変わるというページの中にある『隋書』 「俀国伝」に「東西五月行」の記述があります。
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