「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 対馬見山(つしまみやま) = 筑紫の高千穂の二上峯

※  筑豊の古代 天孫降臨と神武東征
 (平成二九年四月二八日(金) NICOオープニングパーティ ミニ講話より

天孫降臨(その2)

 天津彦々瓊々杵尊、天の磐座を離れ、天の八重雲を排けて、稜威の道別き道
日向高千穂の二上峯に天降りましき。時に、天暗冥く、夜昼別かず、人物道
を失ひ、別きて、物の色別き難たかりき。
 (中略)
時に、大くわ等の奏ししが如、千穂の稲を搓みて籾と為して、投げ散らしたま
ひければ、即ち、天開晴り、日月照り光きき。因りて高千穂の二上峯と曰ひき。
後の人、改めて智鋪(勝浦?)と號く。

『日向國風土記逸文』「智鋪の郷」

 文末にある「改めて智鋪(勝浦?)と號く。」より天孫降臨の場所は、当然、海に近い場所である。したがって、宮崎県の高千穂は、全く当てはまりません。

 高千穂の二上峯は、この対馬見山である。

 <対馬見山>  

「写真」

<所在地のGoogelマップ>