「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
『日本書紀』
天智天皇六年(六六七年)春三月辛酉朔己卯(十九日)、 都を近江 に遷す。
近江宮:中間駅西隣の御館山(今は削られて無い)にあったらしい。現地伝承有り。長津宮か。
『日本書紀 斉明紀 七年』
三月の丙申の朔庚申に、御船、還りて娜大津に至る。磐瀬行宮 に居ます。天皇、此を改めて、名をば長津と曰ふ。 (中略)
秋七月の甲午の朔丁巳に、天皇、朝倉宮に崩りましぬ。八月の甲子の朔に、皇太子、天皇の喪を奉徙りて、還りて磐瀬宮に至る。
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当時は海に面した土地であろう地図(Flood Mapsの海面上昇(7m)地図)と古遠賀湾(古代の遠賀川流域の推定図)は、 こちら
<所在地のGoogelマップ> ・・・ 中間駅の東西に岩瀬、長津の地名がある