「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 松峡(まつお)八幡宮 = 松峡宮

  新説 日本書紀(やまとのふみ) 第19回(9月29日)神功皇后③『洞の海から岡の海へ進軍 羽白熊鷲を甘木に破る
 の記事より引用

 橿日宮から陸軍を率いて冷水峠を越え、朝倉の各地に陣を敷いた神功は、「荷持田村(のとりたのふれ)(朝倉市秋月野
鳥)の羽白熊鷲を撃とうとする」。
 書紀によれば、羽白熊鷲は強健で身に翼が有り、高く飛翔できた。皇命に従わず、人民を略奪した。
皇后が熊鷲を撃とうとして橿日宮から松峡宮(まつおのみや)(筑前町栗田の松峡八幡宮)に遷った。

 時につむじ風が起こり、御笠(みかさ)が吹き落された。そこを御笠という。層層峡野(そそきの)(筑前町夜須)に至って
全軍を挙げ、羽白熊鷲を撃ち滅ぼした。
 家来に語っていうには、「熊鷲を討ち取った。我が心すなわち安し」と。だから、そこを名付けて(やす)
という。

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