「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説 (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
飯塚市、桂川町
嘉麻市
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王塚古墳 = 継体天皇の陵か?
※ 新説 日本書紀(第28回 令和4年11月18日)継体天皇(嘉麻教室講座)より
王塚古墳墳丘、『王塚古墳』は、六世紀中ごろに作られたと考えられる前方後円墳です。 昭和9年に福岡県 嘉穂郡桂川町大字寿命で、採土工事中に偶然発見され、多数の馬具 、武器、銅鏡、装飾品、土器類を出土して います。 継体天皇の陵か。
王塚古墳(桂川町大字寿命(じゅめい))
『継体天皇紀』によれば、継体天皇の出身地は、「自近江國高嶋郡三尾之別業」(近江国の高嶋郡の三尾の 別業の生まれ)とある。 この地が、飯塚市上三緒や鶴三緒の生まれとすれば、そこからこの王塚古墳は、それほど遠くない。
この王塚古墳は、石室しか残されていないから、平安時代に改葬されたようである。また、古墳が造られた 時代も継体天皇陵の時代と合っている。 現在、継体天皇陵とされている大阪府高槻市にある今城塚古墳は、王塚古墳から改葬されたと考えている。
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