「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 大根地(おおねち)神社 = 神功皇后の伝承が残る

※ 新説 日本書紀(第20回 神功皇后③)
 (令和4年7月15日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市nico)より

 飯塚市内野地区(旧筑穂町)と筑紫野市の山家の境にある標高652メートルの大根地山の頂上にある「大根地神社」は九州一円の稲荷信仰の聖地だ。
 2月の初午(はつうま)の日などには、福岡や久留米方面などから、福徳開運、商売繁盛、五穀豊穣(ほうじょう)の御利益を求める参詣者が多い。
 かつては英彦山や宝満山の山伏達が峰回りする修験道場だったことでも知られ、1705(宝永2)年に黒田綱政が鳥居を寄進するなど歴代の福岡藩主の信仰も厚かった。
 社伝では神功皇后がこの山に登り天神七代、地神五代を祭って、古処山を本拠にしていた豪族、羽白熊鷲の征伐や三韓出兵の勝利を祈願した際に「大根地大神」と号したのが始まりという。境内に
大根地神社
  (九州の稲荷信仰の聖地)
大根地神社の鳥居
写真「大根地神社の鳥居」
は神功皇后伝承にちなむ「烏帽子岩」もある。
 ここで一夜を過ごし、寝手山・寝床岳と山名を名付けたと伝わり、尊称も込めて大根地山となったという。その伝承に因む根手岳、根地岳、根智岳などの名称や神社名にも根手岳権現や根地権現などの名称が記録に残る。
 福岡方面には、春日市の「日拝塚古墳」など大根地山を向いている古代遺跡や筑紫野市山家の寝手神社、太宰府市通古賀の大根地稲荷の祠などもあり、大根地山が古くから聖地、霊山として信仰されていたことがうかがえる。
 その後1192(建久3)年、須佐之男命、大市姫命を合祀(ごうし)し、雲閣(雲鶴)大明神と称したという。
 社伝では源頼朝の富士山麓での巻狩で
大根地神社
  (九州の稲荷信仰の聖地)

逃れてきた千歳を越える白狐(白狐大明神)が筑紫国の根地岳に移り住んだとあり、霊験あらたかな稲荷信仰の聖地として知られるようになったという。
 険しい山中で積雪時は参詣できない場合もあり、麓の「上殿」という地に設けた下宮(遙拝(ようはい)所)もあって、「小根地」と称していた場所が筑前国続風土記拾遺や同付録などの記録にも見られる。
 1889(明治22)年には伏見稲荷大社の分霊も勧請し、別当稲荷大明神とも称し、総称して大根地神社となった。
 現在、4月8日付近の土日に開催される、内野・老松神社への御神幸など春の祭礼は、御鎮座記念に由来する華やかなお祭りである。
 神社へは内野方面から国道200号沿いの荒田の鳥居から旧長崎街道・難所冷
大根地神社
  (九州の稲荷信仰の聖地)
水峠へと登る参道がある。
 また山家側にも国道沿いに目印の神社看板があり、夜須高原へもつながる九州自然歩道や旧長崎街道と重なる参道が通じている。 境内からのすばらしい眺望や九州の名水百選の湧き水など、豊かな自然の景観や清浄な空間に身も心も癒やされる。
     =2017年4月15日付
       西日本新聞朝刊筑豊版=
大根地神社
  (九州の稲荷信仰の聖地)
写真「大根地神社近くにある郡境石 」

大根地神社近くにある郡境石

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