「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 上野(あがの)  鋳物師(いもじ)(ばる)付近(大佛の鋳造の地)/西隣には「紫香楽(しがらき)京」があった

 千手氏と天智天皇 ―嘉穂郡誌と日本書紀―  (令和6年2月23日 於:千手寺)より

地図「上野 鋳物師原付近」

 この土地は、南北朝時代の足利尊氏にも所縁(ゆかり)のある志我の山寺興国寺)がある。

志我の山寺

鋳物師(いもじ)(ばる)

釜ノ口

釜蓋

紫香楽京

 大仏のパーツを鋳造した土地は、福智町上野にある鋳物師原という字名の付近と考えている。
 この地は、「上野焼(あがのやき)」として有名な陶器の土地であるが、他にも釜ノ口釜蓋という金属関係に由来すると思われる字名も残されている。
 何故かと考えた時に大仏のパーツがこの地で鋳造されたという事に至った。

 ここ上野の鋳物師原付近で造られた大仏のパーツは、何処で組み立てられたか?
 平城京(桂川町土師三区の長明寺)から少し東に位置する嘉麻市臼井にある 長源寺・織田廣喜美術館辺り建っていた東大寺の地で大仏は、組み立てられたと考えている。

*.ピンクの塗りつぶしエリア:鋳物師原

地図「鋳物師原」

興国寺

地図「上野 鋳物師原付近」

 <上野(あがの)の字図>

興国寺

 

 鋳物に関係する小字名 ・・・ 「鋳物師原(いもじばる)」、「釜蓋」、「釜ノ口

 後世、上野(あがの)焼き物の里なので、鋳物関係の地名は大仏鋳造作業に関係した命名と思われる。

 

 紫香楽京の朱雀大路か ・・・ 「小路」の字名は「こうじ」、元は「皇路

 景行天皇が福智山へ国見に登られた道。しかし、その時代は大君の時代なので、聖武天皇(感神聖武皇帝)に由来と思われる。
 また、この道は同時に、紫香楽京の朱雀大路だったかも知れない。

 尚、このコメントは、令和6年1月20日の「知ってる?採銅所のこんなこと! ―奈良の大仏って―」より

<所在地のGoogelマップ> ・・・ 興国寺の南側のエリアを表示しています