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 九州王朝(「邪馬台」倭国=豊国)説(福永晋三先生の説 = 和歌が解き明かす古代史)

  神武朝は、中国正史に謂う「邪馬台(やまと)」、景行紀歌謡に謂う「夜摩苔(やまと)」すなわち日中の史書に謂う「倭国(やまとのくに)」の
  建国でもあり、その国は必然的に、古代の「豊国(豊前・豊後)」とその周辺である。

  萬葉集から取り出したのですが、古代の倭国には海があった。遠賀川の流域が大きな入江になっていた。ここが、近つ淡海である。また、
  行橋市のところも入江になっていた。そこが、遠つ淡海である。萬葉集七番歌に詠われた「新北(熟田)津」が、鞍手町町の新北本司の
  場所であろう。その倭(やまと)王朝がここ豊国にあったという根拠をこの香春岳から確認した。この山こそが本物の倭三山である。古事記、
  日本書紀、萬葉集に書かれた天の香山というのは、特に古事記、日本書紀においては、天の香山からは金が採れた。また、銅が採れた。
  近くからは鉄も採れたということが、神代の巻に記されている。奈良県の天香具山は、金属は何も採れない。香春三ノ岳横鶴鉱山から
  20世紀に自然金も採掘されている。金も銅も採れるこの山が天の香山に間違いないであろうというのが、倭国=豊国説の根幹である。

 弥生時代の倭国地図 と 倭三山(香春岳)

  新北(熟田)津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな

 ※ 掲載内容は、下記のYouTubeの画像と福永晋三先生の資料等を使用しています。

  <YouTubuのタイトル>

■ 壬申の乱のあらまし 平成29年11月18日 赤村村民センター

■ 倭(やまと)王朝の歴史とその遺構 平成29年3月19日 福岡県立大学

■ 糸田の「泌泉」は天智天皇の「漏刻」跡だった 平成28年11月27日 糸田町

■ 古事記を読む―神武から景行まで 平成28年9月25日 添田町町民会館

■ 豊国北伐考(スメラミコトの豊国征服譚) 平成28年3月21日 久留米大学

■ 神武東征と江田船山古墳の主 2015年 和水町講演会

■ 「邪馬台」倭国=豊国説 平成27年3月14日(土) 福永 晋三

■ 「神武と魏志倭人伝」福永晋三

■ 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三

■ 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三

■ 「神武は筑豊に東征した!」福永晋三

  

■ 聖徳太子の正体―蘇我氏は『豊前京都』にいた 平成29年6月3日,4日

■ 神功皇后紀と魏使倭人伝 平成29年1月19日 大任町公民館

■ 香春町合併60周年「香春は国のまほろば」 平成28年11月3日 香春町

■ 魏志倭人伝を解く 平成28年8月7日 於:田川市民会館

■ 「初代神武天皇は田川で即位した」 平成28年3月20日 福岡県立大学

■ 福永晋三先生2015年川崎町講演会

■ 真実の仁徳天皇 2015年香春町講演会(改訂版)

■ 邪馬壹國こそなかった【九州王朝論の再構築に向けて】福永 晋三

■ 「大善寺玉垂宮と久留米の古代史」 福永晋三

■ 「真実の仁徳天皇」福永晋三


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 ※  福岡県をFlood Mapsの海面上昇(7m)をした場合の地図(弥生時代の地形を再現)は、 こちら をご参照下さい。

 ※ 天皇家= (やまと)王朝は、古代 豊国 (とよのくに)に成立した。現代に続く「」の名残りとして、豊明殿(ほうめいでん)と呼ばれる国賓を
   招いて行われる宮中晩餐会などの主会場となる宮中の宴会場があり、豊明殿の名称は、宮中の節会の一つ、豊明節会(とよあかりのせちえ)
   から命名されている。
   また、壁面には、つづれ織りによる 豊幡雲 (とよはたぐも)の装飾がある。

   *.豊国(とよのくに)は地理的には九州の北東部に位置し、現在の福岡県東部および大分県全域が相当する。豊国は、7世紀末の文武天皇のころに、
       豊前国と豊後国の二つに分けられたといわれる。