「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
阿曽隈社(地元では上権様)= 菟道稚郎子(宇治天皇)⇒ 「宇治京」跡/天智天皇の菟道宮
[諡号「仁徳」の由来の逸話(民のかまど)
・・・ 宇治天皇の国見をした山は、「天香山=香春三ノ岳」]
以下の『古事記』の記述
ここに天皇、高山(たかたま)
に登りて、四方の國を見たまひ詔りたまひしく「國の
中に烟發たず。國皆貧窮し。
故、今より三年に至るまで、悉に人民の課、役を除せ。」とのりたまひき。・・・
にある国見した山=高山は、下記に表記の『万葉集13番歌』の高山を香具山(かぐやま)と読ませてあるから、 この
『古事記』の記述にある高山は、「かぐやま」と読むべきだとした。
したがって、国見に登った山は、「天香山」であり 香春三ノ岳ということになる。
■ 『日本書紀 仁徳紀』の国見の記事
※ 『日本書紀』では、国見は、高台となっている。この国見は、四年と七年の夏四月は、宇治天皇の元年と
三年の夏四月である。
■ 万葉集 二八番
※ 『日本書紀』の二度目の国見の夏四月の国見は、この萬葉集二八にある「夏来たるらし」と同じ
季節であり、宇治天皇の国見を見送る皇后髪長媛の歌ではないか?
※ 福永晋三先生の「万葉集
2番歌、反歌15番歌、百人一首1番歌、2番歌」についてのページを 新解釈 の
参照下さい。
■ 万葉集 二番(長歌)
*.末尾が「豊 蜻蛉嶋 八間跡能國者」の七・七の音数律であったものを故意にカットした疑いがある。
■ 万葉集 一五番(反歌)
※ 国見をした天皇は宇治天皇であり、万葉集2番歌は 宇治天皇の国見の歌である。本来、歌は長歌と反歌の
組合わがあり、15番歌をその反歌(短歌)とした。
■ 万葉集 一三番、一四番
か
ぐ
や
ま
か
ぐ
や
ま
※ 『古事記』の記述の「ここに天皇、 高山(たかやま)に登りて、・・・」とあるが、「高山(たかやま)」を
万葉集の13番、14番では、かぐやま(香具山)と読ませている。
万葉集の2番歌の「国見」の歌の山は、宇治天皇が国見に登った香山の歌であろう。13番歌、14番歌の高山を
「かぐやま」と読ませた山は、本当に「たかやま」であり、大鷦鷯天皇の難波高津宮(行橋市の 五社八幡神社 )
の向かいにある 幸ノ山 である。それが、この高山である。