「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説 (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
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呉越同舟の行き先
※ 古代史フォーラム 古代田川に天皇がいた2 平成30年3月21日(水) 於 福岡県立大学講堂より
■ 呉越同舟(孫子)の故事
紀元前 473年 越王句踐(こうせん)、呉を滅ぼす
紀元前 334年 楚、越を滅ぼす
■ 呉越同舟の行き先
紀元前 473年 越王勾践、呉王夫差を討つ
夫差の公子忌 孝昭天皇三(前473)年来朝し、火国山門に住む。
縄文湖(茂賀の浦)の水が引いた後の弥生遺跡
茂賀の浦の北端に相良観音がありアイラ観音という。 この地は、日本でただ一つ自生している「アイラトビ カズラ」がある。 原産地は、中国南部の長江流域である。
七城地域の「弥生水田」(うてな台地の城ノ上遺跡)から 籾痕(ジャポニカ種)のついた弥生土器が出土している。(七城町史) この弥生前期に水田稲作の技術とともに日本に伝播した籾は、長江下流域を原産地とするジャポニカ種だとされている。
肥後国菊池郡(和名類聚抄)
花房台地から望む菊鹿盆地(呉の人々が住んだ)
倭国地図(遠賀川流域に越の人々が住んだ)