「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 第11回古代史講座 古代田川を解き明かす
宗像が末盧国なら邪馬台国は田川だ2 (令和元年六月二日、於 田川青少年文化ホール)より
帯方郡から倭・女王國に
『古事記』の筑紫の末羅の縣が、『魏志倭人伝』の末廬国であれば、明らかに今の宗像である。その後の陸行で
辿れば田川となる。そこは、白石の山、本物の倭三山(香春岳)があり、香春ノ神は比売語曽神社(比売社)で
あるように卑弥呼と考えられる。
『魏志倭人伝』より30年前に書かれた『魏略』という書物に書かれた「帯方郡から倭・女王國」への記述。
末盧国は、どこか?宗像市の 田熊石畑遺跡(宗像高女跡) からは、弥生時代の遺物が沢山出土している。
宗像大社 では、海上安全や大漁など願って行われる祭礼の「みあれ祭」が行われる。
末盧国(宗像)から東南陸行五百里で伊都国に至る。次に奴国、不彌国に至り、邪馬台国(田川)へ着く。
=「宗像が末盧国なら邪馬台国は田川だ2」
不彌国の新しい候補地が、糸田町の 大宮神社(宮山) である。ここからも弥生時代の遺物が出ている。
香春で即位した卑弥呼は、敵国の狗奴国との戦いの防衛のために赤村の大原、天然の環濠集落で今から60年近く前に田圃を
補修する時に弥生時代の土器がいっぱい出土している。
赤村の教育委員会が『郷土 我鹿(あか)』という本の中で、弥生時代の大きな集落だと書いている。ここが、卑弥呼の宮殿跡と
考えている。
ここのすぐ横にある 光明八幡神社 に祀られている神の最後が、比売大神である。卑弥呼は、ここにも祀られていた。
大阪在住の坂田隆先生が、私より20年も早くから赤村の大原こそが卑弥呼の宮殿跡だと言っていた。