「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 宗像が末廬国なら邪馬台国は田川だ2

※ 第11回古代史講座 古代田川を解き明かす
  宗像が末盧国なら邪馬台国は田川だ2 (令和元年六月二日、於 田川青少年文化ホール)より

若狭・近畿の地図、角鹿神社、神功皇后の系図

地図「播磨~若狭」

 氣比神宮内にある角鹿神社

写真「角鹿神社」

 神功天皇(神功皇后)は、若狭の氣比神宮から出てきた。丹後・但馬・播磨を抜けて瀬戸内海に出た。
 若狭の氣比神宮は、近畿のエリアでしょ。その氣比神宮の一角に角鹿神社がある。都怒我阿羅斯等に関係する。

神功皇后の系図(古事記より)

古事記「神功皇后の系図」

 息長帯比売命が、神功皇后。父は、息長宿禰王。
母は、葛城高額比売。
 父息長宿禰王の先祖が、欠史八代の第九代開化天皇
である。
 母葛城高額比売の先祖をたどると、天之日矛になる。
 この人物が、どう考えても今日のメインテーマになる
都怒我阿羅斯等です。たぶんイコールです。
 神功皇后は、開化天皇と都怒我阿羅斯等の両方の血
受け継いでいる。
 この息長帯比売命が、気比の宮を出発して、豊国まで
やって来て、豊国(ヤマト国)の王族を倒して新しい
天皇として、この土地で即位されたというのが、私の
仮説です。