「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 真実の仁徳天皇(平成27年7月25日、於 香春町町民センター)の講演より
■ 「民のかまど」は、宇治天皇が香山(香春岳三ノ岳)に登り国見した逸話
『古事記 仁徳記』 「仁徳天皇」の諡の由来の記事
*.『万葉集』 13番、14番歌に「高山」と書いて「かぐやま」と読ませている。
『古事記』でも「かぐやま」と読ませると思った瞬間に、天香山( 香春岳 三ノ岳)に登って
国見をした事がわかった。宇治天皇は、天香山に二度登って国見している。
『百人一首 一番 天智天皇』の歌
*.この『百人一首』は、「天智天皇」の歌になっているが、この歌は、左記の『古事記』の
「仁徳」話と繋がる。
新解釈についての詳細は こちら を参照下さい。
『百人一首 二番 持統天皇』の歌
*.この『百人一首』は、「持統天皇」の歌になっているが、この歌は、宇治天皇の二度目の
国見を見送る髪長媛皇后の歌と断定している。
『萬葉集 二番/十五番(反歌)』
*.この『万葉集 二番歌』は「宇治天皇」が二度目の国見をする為に、天香山へ登って時の
歌である。
この二番歌は長歌であり、十五番歌を反歌とした詳細は、 こちら を参照下さい。
※ 「真実の仁徳天皇」(平成27年11月5日、於 大阪市天王寺区 吉田ビル)の講演時に以下、『万葉集二番』の
解釈の訂正しています。
「取り鎧ふ(取與呂布)」のところは、「とりよろう(とりよろふ)」の意味は、「連立つ」があるので、
「鎧を身に着けたような山肌をした天香山」から「畝尾山と耳成山の峰と連れ立って聳える天香山」という
解釈になる。
香春岳が、三連山であるので、「とりよろふ」と歌われている。