「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 真実の仁徳天皇(通説の大鷦鷯天皇ではなく宇治天皇である)

※ 真実の仁徳天皇(平成27年7月25日、於 香春町町民センター)の講演より

■ 太子菟道稚郎子は、菟道宮で宇治天皇として即位した

『日本書紀 仁徳紀』の記事

(日本書紀 仁徳紀)
 既にして(太子菟道稚郎子)宮室を菟道に
興てて居します。
猶ほ位を大鷦鷯尊に讓り
ますに由りて、以て久しく皇位に即きまさず。
爰に皇位空しくして、既に三載を經ぬ。時に
海人有り。鮮魚の苞苴を齎ちて、菟道宮
獻る。太子海人に令して曰はく、「我天皇に
非ず。」と。乃ち之を返して難波に進らしめ
たまふ。大鷦鷯尊も亦返して、以て菟道に
獻らしめたまふ。是に、海人の苞苴、往還に
鯘れぬ。更に返りて他の鮮魚を取りて獻る。
讓りたまふこと前日の如し。鮮魚亦鯘れぬ。
海人、屢還るに苦しみて、乃ち鮮魚を棄てて
哭く。故、諺に曰はく、「海人なれや、己が
物に因りて泣く。」と。其れ是の縁なり。
真実の仁徳天皇(豊国史)

*.「宮室を菟道に興てて居します」は、即位したことを意味し、菟道の宮で即位した天皇
  =「宇治天皇」ということになる。
  『播磨國風土記』に 宇治天皇 の呼称が出てくる。「皇位を譲り合った」と改竄しているが、
  本当は、宇治天皇が三年間即位していた。

 

「宇治宮」と「難波高津宮」



地図「行橋市入覚」
「写真」

難波高津宮
(行橋市入覚の五社八幡神社)

真実の仁徳天皇(豊国史)

 



地図「香春町古宮」
「写真」

宇治宮
(香春町古宮ヶ鼻の阿曽隅社)

真実の仁徳天皇(豊国史)

 



地図「味見峠」
「味見峠の由来」
真実の仁徳天皇(豊国史)

*.宇治天皇の宇治宮= 阿曽隈社 (香春町宮原古宮ヶ鼻)、大鷦鷯尊の難波高津宮= 五社八幡神社 
  (行橋市入覚)であり、その間の香春町とみやこ町の境にある峠、「 味見峠 」の名前は、上記の
  『日本書紀』の皇位を譲り合った時の海人の故事が由来の下地となっているのではないか。
  また、阿曽隈社跡は、斉明天皇と天智天皇の菟道宮でもある。