「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 真実の仁徳天皇(通説の大鷦鷯天皇ではなく宇治天皇である)

※ 真実の仁徳天皇(平成27年7月25日、於 香春町町民センター)の講演より

■ 応神天皇から髪長比賣を賜った太子は、菟道稚郎子

『古事記 応神記』 髪長比賣の記事

(古事記 應神記)
 天皇、日向國の諸縣君の女、名は髪長比賣
其の顔容麗美しと聞し看して、使ひたまはむ
として喚上げたまひし時、其の 太子大雀命 
其の嬢子の難波津に泊てたるを見て、其の
姿容の端正しきに感じて、即ち建内宿禰大臣
に誂へて告りたまひけらく、「是の日向より
喚上げたまひし髪長比賣は、天皇の大御所に
請ひ白して、吾に賜はしめよ。」とのりたま
ひき。
 爾に建内宿禰大臣、大命を請へば、天皇
即ち髪長比賣を其の御子に賜ひき

 賜ひし状は、天皇豊明聞し看しし日に、
髪長比賣に大御酒の柏を握らしめて、其の
 太子 に賜ひき。
真実の仁徳天皇(豊国史)

*.文末の「其の太子に」と名前を記していない太子は、「菟道稚郎子」である。
  したがって、この宴席では大雀命は、実際に髪長比賣を見ていないことになる。

 

『日本書紀 応神紀』 十一年、十三年の髪長媛の記事

 十一年 ・・・
 是歲、人有りて奏して曰さく「日向國に
孃子有り。名は髮長媛。即ち諸縣君牛諸井
が女なり。是、國色之秀者なり」とまうす。
天皇、悅びて、心の裏に覓さむと欲す。
 十三年の春三月に、天皇、專使を遣して、
髮長媛を徵さしむ。秋九月の中に、髮長媛、
日向より至れり。便ち桑津邑に安置らしむ。
 爰に皇子大鷦鷯尊、髮長媛を見たまふに
及りて、其の形の美麗に感でて、常に恋ぶ
情有します。
 是に、天皇、大鷦鷯尊の髮長媛に感づる
を知しめして配せむと欲す。
 是を以て、天皇、後宮に宴きこしめす
日に、始めて髮長媛を喚して、因りて、
宴の席に坐らしむ。

*.『日本書紀』では、大鷦鷯尊はあくまでも皇子であり、太子では無い。
  その皇子大鷦鷯尊が応神天皇の宴席で直接、「髪長媛を見たとある。