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ま
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「邪馬臺國=鷹羽國」説 (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
福岡県とその周辺
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立磐神社 = 第二次神武東征(美々津出港)
以下、2021年12月3日(金)、『新説日本書紀』第9回講座より
▶ 第二次東征で神武天皇は何故、「美々津から出港」したのかは こちら からご視聴頂けます。
※ 2020年版 神武東征(全5回シリーズ「肆」) (令和三年一月二十八日、豊の国古代史研究会有料配信)
神武天皇御一代記御絵巻
Ⓒ橿原神宮
三 寶船美々津御解纜 速吸之門に至る
神武天皇は45歳の時、東を目指して美々津の港からお舟出をしたといいます。 神社には神武天皇らを祀り、訪れた際に腰掛けたとされる岩が境内に残っています。周辺には、急ぎの出立のため、立ったまま衣服を縫ったという「立縫」という地名もあります。 潮や風の影響で旧暦8月1日の夜明けに出航することになり、家々を「おきよ、おきよ」と起こして回ったことから今も「おきよ祭り」が行われています。
Ⓒ宮崎 神話の源流へ 立磐神社
<所在地のGoogelマップ>