「邪馬臺國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 速吸日女神社 = 速吸之門

以下、2021年12月3日(金)、『新説日本書紀』第9回講座より

  第二次東征で立ち寄った所の『神武紀』にも書かれている「速吸之門」が、速吸日女神社で
   そこから珍彦(椎根津彦)が乗船するとの説明は こちら からご視聴頂けます。

※ 2020年版 神武東征(全5回シリーズ「肆」)
 (令和三年一月二十八日、豊の国古代史研究会有料配信)

第二次神武東征
速吸之門に至る
 戊午年の春二月の丁酉の朔丁未に、皇師遂に東にゆく。舳艫(ともへ)相接げり。
 速吸之門(はやすひのと)に至る。時に(ひとり)漁人(あま)有り、(こぶね)に乘りて至る。天皇之を()して、因りて問ひて曰く、「汝は誰そ」。(こた)へて曰く、「臣は是れ國神。名は珍彦(うづひこ)と曰ふ。」と。又問ひて曰く、「汝は能く我を導かんや。」と。對へて曰く、「導びかん。」と。天皇、勅して漁人に(しひ)(さお)が末を授け、(とら)しめて皇舟(みふね)()()れ、以ちて海の導者(みちびきひと)と爲す。乃ち特に名を賜ひて、椎根津彦(しひねつひこ)と爲す。
(日本書紀 神武天皇即位前紀)
 紀元前六六七年に、神武天皇が東征の途中で速吸の瀬戸(豊予海峡)を通りかかった折りに、海女の姉妹の黒砂(いさご)真砂(まさご)の二神が、潮の流れを静めるために海底から大蛸が護っていた神剣を取り上げて天皇に奉献したところ、神武天皇自らがこの剣を御神体として、祓戸(はらへど)の神(速吸日女)を奉り、建国を請願したのが始まりであるとされる。
(速吸日女神社社伝)
速吸日女神社の祭神
 八十禍津日神(やそまがつひのかみ) = 瀬織津姫
速吸日女神社
速吸日女神社の「蛸の絵」

 当社では、神剣を(タコ)が長年守護してきたものと考え、「蛸の絵」を奉納して、蛸を一定期間(最低でも半年)蛸を食べずに願い事をすると、必ず願い事が成就するという蛸断祈願という珍しい祈願法を用いる神社となっている。

 <所在地のGoogelマップ>