「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
古代田川に天皇がいた2
■ 素戔烏尊に退治された八俣遠呂智一族も長江下流域が遠賀川流域にやってきた
● 伊弉諾尊の次の王は、天照大神尊ではなく、素戔烏尊である
・・・ 『宋史 日本國』では、古事記・日本書紀とは異なり、伊弉諾尊の次の王が、素戔烏尊と書かれている。
天照大神尊ではなく、素戔烏尊が先の王である。
その素戔烏尊は、出雲国に須賀の宮を建てた。
● 素戔烏尊の建てた須賀の宮が、飯塚市の 内野老松神社 である
・・・ 老松神社は複数あり、その境内社(神社の敷地の中)に須賀神社がある。飯塚市や嘉麻の地区に
須賀神社が沢山存在する。飯塚市に合併する前の旧筑穂町である。
ここが、素戔烏尊が居た須賀の宮であったと思っている。
● 旧筑穂町に「出雲」という交差点ある。ここが、素戔烏尊が須賀の宮を建てた出雲の国か
・・・ 素戔烏尊は、八俣遠呂智を退治する。須賀の宮に関しては、旧筑穂町の近くに出雲という交差点がある。
下記の地図の「17」の辺りである。須賀の宮と思われるこの土地には、タタラという遺跡がある。
タタラ遺跡は、実際に発掘されたが残念ながらタタラ製鉄の跡は、見つからなかった。字名に「タタラ」
と残っているので、広範囲に発掘すれば、タタラ製鉄跡が見つかるのではないかと期待している。
● 素戔烏尊が退治をした八俣遠呂智一族も鍛造の鉄剣を携えて長江下流域からやってきた
・・・ 素戔烏尊が、八俣遠呂智を退治した時に尾っぽから剣が出てきた。素戔烏尊が剣を降り降ろして、尾を
斬ったら自分の剣が「カチーン」と音がして刃が欠けてしまったので、尾を裂いたてみたら剣が出てきた。
その剣は、『古事記』では都牟刈(つむがり)の大刀とあり、後の草那藝(くさなぎ)の劒と書かれている。
何故、遠呂智(大蛇)が剣を持っているのか? 大蛇が剣を使えない。大蛇には手がない。でもこの話は、
歴史事実の神話化であり、神話というのは、神懸かった話ではない。歴史事実の反映であり、デフォルメ
された話である。
草薙剣は、来年いよいよ今上陛下から皇太子に譲られる三種の神器の一番の中心の物である。天皇家に深く
関わる剣が、最初は八俣遠呂智が持っていたと古事記・日本書紀に書かれている。
・・・ 草薙剣は、『日本書記』では、別名を元の名で天叢雲劒(あめのむらくものつるぎ)とある。
これはどういう事だろうか?何故、八俣遠呂智が剣を持っていたのか?それも鉄剣を持っていたのか?
と考えると、それは遠呂智の神を祭る一族、やはり人間であったと思う。
素戔烏尊は、八俣遠呂智一族をだまし討ち、寝ているところで首を落としていったのではなかったかと
考えている。
八俣(yamata)の「m」の一字を「b」に換えると、八幡(yabata)となる。「さぶい
(寒い)」と「さむい(寒い)」、「けぶい(煙い)」と「けむい(煙い)」の関係である。
「やばた」と「やまた」の関係で八幡は、こちら北九州では、「やわた」の事である。
八俣遠呂智は、意外なことに鉄剣を持っていた。鍛造の剣を持つ一族であった。最初の八幡神は、
八俣遠呂智一族ではなかったかと大胆に考えている。
・・・ 草薙の剣であるが、八俣遠呂智一族が祭った神の名残が中国に残っている。体が人間で、足の所が
蛇の尾になっている女媧(じょか)とか伏羲(ふくぎ)という神である。中国の神話では、人間を造った神で
ある。これの漢代の画像壁では、見難いがよく数えると8人(8匹)描かれている。
この神が何と「呉越同舟」と同じ長江下流域で祭られていた神である。鍛造の鉄剣を有する八俣遠呂智
一族がたぶん、長江下流域から北九州の土地に伊弉諾尊の後に現われたのではないかと考えている。
● 八剱神社という神社が示すように八俣遠呂智の尾っぽから出た草薙剣は8本あった
・・・ 日本武尊の時代になって草薙の剣となった剣であるが、八俣遠呂智の尾っぽが8本あるから、尾っぽ
から1本づつ出れば、8本出たのではないかと思う。
そうした時に、遠賀川流域に八剱神社という神社がある。祭神が日本武尊、素戔男尊であり、出来過ぎ
である。
奈良県には、八剱神社は殆どありません。こちら、筑豊の出来事である。
・・・ 昔の教科書に載っていた銅矛文化圏と銅鐸文化圏である。素戔烏尊は、両方の文化圏を領有していた
のでしょうか?
でも素戔烏尊の都、中心は、筑豊である。