「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 卑弥呼の鏡と神功の鏡  -倭国の魏鏡と東鯷国の呉鏡-

※ 卑弥呼の鏡と神功の鏡  -倭国の魏鏡と東鯷国の呉鏡-
 (令和二年八月二十日(木)、第16回 古代史講座 第2部、主催 田川広域観光協会)より

■ 「倭国と東鯷国」まとめ

氣長足姫尊天皇の征西
 4世紀後半、遂に東鯷国が挙兵した。すで
に饒速日尊の本流と融合したと推測される東
の三角縁神獣鏡圏を形成する強国が、征西を
開始した。
 気比の宮を発した神功天皇(神功皇后)は、
海人族を従え、但馬播磨の国を南下、瀬戸
内海に出る。
 牛窓で新羅の王子を退治し、吉備の鬼の城
温羅(うら)を滅ぼし、西進する。遂に穴門豊浦宮
(下関市幡生の生野神社)を落し入城。
 邪馬台国の王の一人、岡県主の祖熊鰐(くまわに)が帰
順。続いて伊都(いつ)主の祖五十迹手(いそとて)が帰順。
 淡海の大津の宮(豊津町)を滅ぼし、御所
ヶ谷(神籠石、旧京都郡、現行橋市)に拠る
忍熊王を殲滅。

 

氣長足姫尊天皇の征西
地図「播磨・摂津・山城・丹波・但馬・丹後・若狭の神社」

 

神功皇后の戦略と魏使の経路
地図「福岡県」

 ① 

 ② 

 ③ 

 ④ 

 ⑤ 

 ⑥ 

 魏使 

 神功 

 穴門(豊浦宮) 
 神功・足仲彦 

 邪馬台 

 御所谷 
 忍熊 

 武庫 

 岡 
 熊鰐 

 末羅 
 勝門姫 

 熟田 

 伊都 
 五十迹手 

 不彌 

 奴 
 (橿日宮) 

 足仲彦 

 層増岐野 
 羽白熊鷹 

 松尾宮 

 

三世紀の倭国・東鯷国

銅矛文化圏・銅鐸文化圏の地図
「写真」

  三角縁神獣鏡
(赤烏元年鏡)

「写真」

  内行花文鏡
(後漢式鏡)

銅矛文化圏
 (倭国)

銅鐸文化圏
(東鯷国)

 

倭国東鯷国

倭国

・漢書地理志燕地

・後漢書倭傳

・三国志魏書東夷傳
 (魏志倭人伝)

三韓の南

銅矛文化圏

後漢鏡(=魏鏡)

卑弥呼(三世紀)200年

東鯷国

・漢書地理志呉地

・後漢書倭傳

・三国志呉書孫権伝
 翰苑及び魏略逸文

三韓の東

銅鐸文化圏

三角縁神獣鏡(鯷呉合作鏡)
 赤鳥鏡

神功皇后(四世紀)320年