「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 宮若市・鞍手郡の(いにしえ)

※ 宮若市・鞍手郡の古(いにしえ)
 (令和5年9月30日(土) 宮若市・鞍手郡ボランティア連絡協議会 於:小竹町総合社会福祉センター)

(1)『鞍手郡誌』の地図/『宮田町史』縄文時代〜弥生時代

 犬鳴山千石峡剣岳(鞍手町中山)、山部(福岡県立鞍手高等学校の所在地が直方市山部)の4ヶ所を拡大して示す。

「鞍手郡誌」の地図
一部拡大「犬鳴山」

①犬鳴山

一部拡大「千石峡」

②千石原
(千石峡)

一部拡大「剣岳」

③剣岳
(鞍手町)

一部拡大「山部」

④山部
(直方市)

『万葉集』巻第三 三一八番

 田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける

 ④山部は、山部赤人の出身地と思われる。上記の万葉集を読んだように山部の土地から千葉県へ行かれて、その地で亡くなっている。

 

 汐井掛(しおいがけ)遺跡(宮若市沼口 若宮IC)

『宮田町史』縄文~弥生
写真:『宮田町史』汐井掛遺跡

 この汐井掛遺跡は、縄文時代・弥生時代から古墳時代まで千数百年も続いた遺跡である。さらにこの奈良時代の一つの墓からは、日本最古の銭貨とされる和同開珎(福永説では「わどうかいじ」と読む)が5枚も出土している。

 

 汐井掛(しおいがけ)遺跡(宮若市沼口 若宮IC)

『宮田町史』縄文~弥生
写真:『宮田町史』汐井掛遺跡

 弥生時代の鉄刀も出土している。ここ鞍手郡では、弥生時代には製鉄を行い、刀を作っていたと考えられる。

 

 上大隈遺跡

『宮田町史』弥生時代
写真:『宮田町史』弥生式土器
写真:『宮田町史』弥生式土器