「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 宮若市・鞍手郡の古(いにしえ)
(令和5年9月30日(土) 宮若市・鞍手郡ボランティア連絡協議会 於:小竹町総合社会福祉センター)
(3)饒速日尊の倭奴国建国までの筑豊の歴史
※3-1
倭奴国と云うのは、『万葉集』29番では、天尒満倭(虚見倭)との表現がある。
※3-3
倭奴国は、紀元前に建国された国であるが、鉄製品を造った国家であった。この『古事記』の記事の中に「鉄の鏡を作った」と書かれている。
素戔嗚尊は、天照大神(饒速日尊)によって殺された。その素戔嗚尊の墓
が、北九州市小倉南区の八坂神社に存在する。
素戔嗚尊の出雲王朝が福岡県にあり、その王朝を饒速日尊が滅ぼして建てた国が倭奴国であり、その遺跡が立岩遺跡である。
※3-4
『先代旧事本紀』(天孫本紀)の物部氏の系譜では、饒速日命の次、2代が天香語山命の時が後漢の光武帝の時代に当る。
西暦107年に安帝から下賜されたのが、日田市のダンワラ古墳から出土した「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」かなと考えている。
天香山
耳成山
畝尾山
※3-5
香春三ノ岳こそが、金や銅が採れる本物の天香山である。
・『日本書紀』神代上 第七段 一書 第一
採二天香山之金一、以作二日矛一。
・『先代旧事本紀』巻二「神祇本紀」
採二天香山之銅一使レ図二造日像之鏡一。
弥生時代の倭国 = 豊国の歴史
弥
生
前
期
弥
生
中
期
前
660
前
300
前
100
前
14
後
57
大物主 八千矛の時代
火カグツチ(火男)
八俣の大蛇(八幡神)「天叢雲剣」
伊弉諾尊 細型銅剣の時代
遠賀川式土器 立屋敷遺跡
すずり、鋳造鉄斧 下稗田遺跡
前漢式鏡、刀子、絹 立岩遺跡
素戔嗚尊出雲王朝を創建
天照大神笠置山に降臨、倭奴国
天の金山の鐵から鏡製作
ウマシマデの東遷
後漢の光武帝金印を下賜
弥
生
中
期
弥
生
後
期
古
墳
前
期
1C
107
121
146
189
200
239
260
320
(漢)委奴国栄える
倭面上国王帥升生口献上
金銀錯嵌朱竜紋鉄鏡下賜か
神武天皇即位邪馬台国創始
倭国大乱
卑弥呼共立
帯方郡(魏)に遣使
遠賀川流域に後漢式鏡
日本武尊「草薙剣」
神功皇后征西
※3-6
西暦239年に卑弥呼が、帯方郡(魏)に遣使。この時に「銅鏡百枚」をもらってきた。その銅鏡百枚が、遠賀川流域から出土する後漢式鏡(内行花文鏡)である。
現在、教科書では卑弥呼がもらってきた鏡は、三角縁神獣鏡とされているが、近畿地方の鏡で国産鏡である。
● 倭国の始まりは、紀元前660年頃
※3-7
銅剣・銅矛が最も多く出土しているのが、福岡県である。だから大物主神(八千矛の神)は、この地にいた。奈良県は、銅剣・銅矛が1本も出土していない。したがって、大物主神は、奈良県にはいなかった。
※3-8
『宋史』日本國には、平安時代の東大寺の僧奝然が、宋の太宗に献上した王年代紀が収録されている。
※3-9
おのころ島を水巻町頃末(多賀山)に発見した。
※3-10
遠賀川流域は、かつては古遠賀湾という入り江が入っていた。上記で説明した頃末のところが島になっている。
神武天皇紀に書かれている伊弉諾尊が名付けた「浦安の国」と云うのは、内海である古遠賀湾に面した国であり、また、「細戈の千足る国」とあるように細形銅剣が出土しているこの土地が、日本国である。海無し県の奈良県は、神代の日本国では絶対に無い。