「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 宮若市・鞍手郡の(いにしえ)

※ 宮若市・鞍手郡の古(いにしえ)
 (令和5年9月30日(土) 宮若市・鞍手郡ボランティア連絡協議会 於:小竹町総合社会福祉センター)

(3)饒速日尊の倭奴(いぬ)国建国までの筑豊の歴史

天満倭国 = 倭奴国の成立
前一四 饒速日(天照大神)、
   葦原瑞穗國の笠置山に降臨
地図「立岩式石包丁分布図」

「発掘『倭人伝』」下條信行氏原図

笠置山

天照宮(磯光)

※3-1

 倭奴(いぬ)国と云うのは、『万葉集』29番では、天尒満(あまにみつ)(やまと)虚見(そらみつ)(やまと))との表現がある。

※3-2

 天照国照彦(あまてるくにてるひこ)(あめの)()(あかり)櫛玉(くしたま)饒速日(にぎはやひの)(みこと)が、笠置山に降臨したという伝承が、天照宮の伝承にある。この神こそが、本物の天照大神であり、女神ではなく男神である。
 この饒速日が、上図に示す範囲の倭奴国という一大王国を建てた。

 

天満倭国 = 倭奴国の成立
 ①鉄製品を造った国家
 素戔嗚尊を倒したのが天照大神こと饒速日尊であろう。宮若市宮田町磯光の天照宮に祭られる男神である。
 『古事記』天の岩屋戸伝承にこうある。
 かれここに天照大御神見畏こみて、天の石屋戸を開きてさし隠りましき。ここに高天原皆暗く、葦原の中つ国悉に闇し。これに因りて、常夜往く。ここに万の神の声は、さ蝿なす満ち、(よろづ)(わざはひ)悉に発りき。・・・
 天の金山の(まがね)を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、伊斯許理度売の命に科せて、を作らしめ、 ・・・天の香山の真男鹿の肩を・・・
 (手力男の神)、速須佐の男の命に千座(ちくら)(おき)()を負せ、また鬚と手足の爪とを切り、祓へしめて、(かむ)(やら)(やら)ひき。
 「千座の置戸」とは何枚もの板状の石のことであり、素戔嗚尊は重い石を身体の上に置かれて圧殺されている。彼の一族は再び現在の出雲に流されたようだ。

※3-3

 倭奴国は、紀元前に建国された国であるが、鉄製品を造った国家であった。この『古事記』の記事の中に「鉄の鏡を作った」と書かれている。
 素戔嗚尊は、天照大神(饒速日尊)によって殺された。その素戔嗚尊の墓 が、北九州市小倉南区の八坂神社に存在する。
 素戔嗚尊の出雲王朝が福岡県にあり、その王朝を饒速日尊が滅ぼして建てた国が倭奴国であり、その遺跡が立岩遺跡である。

 

天満倭国 = 倭奴国の成立
 ②墨で漢字を書く国家
 これらに関連するのが、『後漢書』倭国伝の次の一節である。
 建武中元二年((五七年))倭奴国奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界を極むるや、光武賜うに印綬を以てす。

 安帝の永初元年((一〇七年))倭面上国王帥升等、
生口百六十人を献
じ請見を願う。
(謝承後漢書)

<金印>

<封泥>

<金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡>

「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡」
金印「漢委奴国王」
封泥「漢委奴国王」

※3-4

 『先代旧事本紀』(天孫本紀)の物部氏の系譜では、饒速日命の次、2代が天香語山命の時が後漢の光武帝の時代に当る。
 西暦107年に安帝から下賜されたのが、日田市のダンワラ古墳から出土した「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」かなと考えている。

 

五七年の倭奴国
 饒速日命天香語山命
香春岳(倭三山)

天香山

耳成山

畝尾山

※3-5

 香春三ノ岳こそが、金や銅が採れる本物の天香山である。

・『日本書紀』神代上 第七段 一書 第一
 採天香山之、以作日矛

・『先代旧事本紀』巻二「神祇本紀」
 採天香山之使造日像之

 

弥生時代の倭国 = 豊国の歴史



 

 

 

 



 

 

 

 


660


300


 


 


100


 


14


57

 
 

大物主 八千矛の時代

 
 

火カグツチ(火男)
八俣の大蛇(八幡神)「天叢雲剣」

 
 

伊弉諾尊 細型銅剣の時代

 
 

遠賀川式土器 立屋敷遺跡

 
 

すずり、鋳造鉄斧 下稗田遺跡
前漢式鏡、刀子、絹 立岩遺跡

 
 

素戔嗚尊出雲王朝を創建

 
 

天照大神笠置山に降臨、倭奴国
天の金山の鐵から鏡製作

 
 

ウマシマデの東遷
後漢の光武帝金印を下賜



 

 

 

 







1C
 

107
 

121
 

146
189

200
 

239
 

260
 

320
  

 
 

(漢)委奴国栄える

 
 

倭面上国王帥升生口献上
金銀錯嵌朱竜紋鉄鏡下賜か

 
 

神武天皇即位邪馬台国創始

 
 

倭国大乱

 
 

卑弥呼共立

 
 

帯方郡(魏)に遣使
遠賀川流域に後漢式鏡

 
 

日本武尊「草薙剣

 
  

神功皇后征西

※3-6

 西暦239年に卑弥呼が、帯方郡(魏)に遣使。この時に「銅鏡百枚」をもらってきた。その銅鏡百枚が、遠賀川流域から出土する後漢式鏡(内行花文鏡)である。
 現在、教科書では卑弥呼がもらってきた鏡は、三角縁神獣鏡とされているが、近畿地方の鏡で国産鏡である。

 

● 倭国の始まりは、紀元前660年頃

倭国の始まり―倭成す大物主
 大物主は別名「八千矛の神」でもある。
 この神が引き連れてきた部族こそおそらく物部氏二十五部族であろう。銅矛の出土状況がそれを裏付ける。
「青銅器の分布」

※3-7

 銅剣・銅矛が最も多く出土しているのが、福岡県である。だから大物主神(八千矛の神)は、この地にいた。奈良県は、銅剣・銅矛が1本も出土していない。したがって、大物主神は、奈良県にはいなかった。

 

神代 ~ 神功の豊国
『宋史』日本國(王年代紀)
 其年代紀所記云、初主號天御中主。次曰天村雲尊、其後皆以尊爲號。次天八重雲尊、次天彌聞尊、次天忍勝尊、次贍波尊、次萬魂尊、次利利魂尊、次國狭槌尊、次角龔魂尊、次汲津丹尊、次面垂見尊、次國常立尊、次天鑑尊、次天萬尊、次沫名杵尊、次伊弉諾尊、次素戔烏尊、次天照大神尊、次正哉吾勝勝速日天押穂耳尊、次天彦尊、次炎尊、次彦瀲尊、凡二十三世、並都筑紫日向宮
 彦瀲第四子號天皇、自筑紫宮大和州橿原宮。即位元年甲寅((前六六七))周僖
(恵)
王時也。次綏靖天皇、次安寧天皇、次懿德天皇、次孝昭天皇、次天皇、次孝靈天皇、次孝元天皇、次開化天皇、次崇神天皇、次垂仁天皇、次景行天皇、次天皇。次仲哀天皇、國人言爲鎮國香椎大神、次天皇、開化天皇之曽孫女、又謂息長足姫天皇國人言爲太奈良姫大神

※3-8

 『宋史』日本國には、平安時代の東大寺の僧奝然(ちょうねん)が、宋の太宗に献上した王年代紀が収録されている。

 

おのころ島の発見
 是に天つ神、諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、『この多陀用弊流(ただよへる)国を修理(をさ)め固め成せ。』と詔りて、天の沼矛(ぬほこ)を賜ひて、言依(ことよ)さし賜ひき。
 故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして()たまへば、(しほ)()々袁々(をろこ)()()に画き鳴して引き上げたまふ時、その矛の(さき)より(しただ)り落つる塩、(かさ)なり積もりて島と成りき。これ於能碁呂(おのごろ)なり。
(許呂末→頃末
 その島に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。
写真(遠賀川、多賀山)

於能碁呂島

豊前坊山   

多賀山   

明神ヶ辻山   

立屋敷遺跡(柱痕跡)
「遠賀川式土器」

立屋敷遺跡(柱痕跡)
掘立柱による高床式建物
推定:伊邪那岐命の八尋殿
  

遠賀川式土器   

※3-9

 おのころ島を水巻町頃末(多賀山)に発見した。

 

弥生中期 銅剣の時代
 伊奘諾尊が、「日本(やまと)は浦安の國(くはし)(ほこ)千足(ちだ)る國()()(かみ)秀真(ほつま)(くに)。」と名付けたとある。          (神武天皇紀)
古遠賀湾図

於能碁呂島

新北

マッコウクジラの歯の装飾品
銅戈・銅剣

遠賀町公式
ホームページより
  

直方市天神橋貝塚
マッコウクジラの
歯の装飾品
  

※3-10

 遠賀川流域は、かつては古遠賀湾という入り江が入っていた。上記で説明した頃末のところが島になっている。
 神武天皇紀に書かれている伊弉諾尊が名付けた「浦安の国」と云うのは、内海である古遠賀湾に面した国であり、また、「細戈(くわしほこ)千足(ちだ)る国」とあるように細形銅剣が出土しているこの土地が、日本(やまと)国である。海無し県の奈良県は、神代の日本(やまと)国では絶対に無い。

 

古遠賀湾沿岸の最古の稲作   

地図(遠賀川式土器の分布図)
遠賀川式土器・遠賀川系土器