「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
香春の神と天皇 (その1)
(2)素戔烏尊と草薙剣
『古事記』では、素戔烏尊が八俣遠呂智から取り出した刀が、都牟刈の大刀で、その刀が草那藝の劒に変わる。
この「天照大御神に白し上げき」の一節は、創作・改竄である。天照大御神(=饒速日尊)が、素戔烏尊から取り上げたのが草那藝の劒である。
『日本書紀』では、「草薙劒」の読み方が万葉仮名で記されている。
素戔烏尊が八俣遠呂智の尾を斬った時に「御刀の刄毀れき」とあるように「草薙劒」は鉄剣である。したがって、弥生時代の中期にすでに遠賀・香春の土地では、鍛造の刀が作られていたという可能性を挙げた。
これは現在の考古学の世界とは全く合わない。考古学では完全に否定されるが、『古事記』に書かれている。草薙劒の本の名が天叢雲劒であり、素戔烏尊が八俣遠呂智の尾から取り出した刀である。
素戔烏尊の時代という事は、紀元前でないと文献上合わない。
『古事記』に素戔烏尊が、「宮を造作るべき地を出雲の國に求めき」とある土地は、香春であった。
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『古事記』、『日本書紀』ともに一番最初に出てくる歌謡で、和歌の最初であると紀淑望が『古今和歌集 真名序』の中で書いてある。
然れども、神の世七代は、時質に人淳うして、情欲分かつことなく、和歌いまだ作らず。素戔烏尊の出雲の国に到るに逮びて、始めて三十一字の詠あり。今の反歌の作なり。その後天神の孫、海童の女といえども、和歌をもちて情を通ぜずといふことなし。
出雲の國の須賀の地は、何処か?
宮原金山遺跡は、国道322号(香春大任バイパス)の工事中に発見された。この遺跡から総重量11tを超える鉄滓類が出土している。
宮原金山遺跡から東南に約1kmの所に鏡乃池があり、その奥の所を八重垣跡と考えている。
この小山は、8段の段差になっている。ここは、版築という黄河流域で古代から用いられた石灰分を多量に含んだ土を建材を用い強く突き固める方法で、堅固な土壁や建築の基礎部分を徐々に高く構築する工法が用いられている。この工法は、御所ヶ谷神籠石でも見られる。
出雲の國というのは、素戔嗚尊の一族が流された現在の島根県ではなく、香春町鏡山の鏡乃池の奥に須賀の宮跡を見つけた。