倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
記紀万葉研究家 福永晋三
「万葉集」巻第五 800番・801番 (「山澤に亡命する民」とは何処の誰か?)
万葉集において、山上憶良が筑前國守の時に作られた「嘉摩三部作」と云われる歌に入る。その一番目が、800番歌の「惑へる情を反さしむる歌一首」である。
最初に序文がある。その中に「山澤に亡命する民」とある。これが、何か?
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脱屣:履物をぬぎ捨てること。転じて、未練なく物を捨て去ること。
『続日本紀』の中に「山沢に亡命し」と記事がある。この亡命という言葉は、現在と同じで政治的弾圧や思想・宗教・民族などの相違を理由に、迫害を受けている者がその土地から逃亡することである。
この場合は、「山澤(山沢)に亡命」している。そして、この時に山上憶良は、筑前国守として嘉麻の土地にいるから、この嘉麻の地から山沢に亡命している人々がいる。
題詞は、その亡命している人たちに向かって、元に戻させる歌だとある。『続日本紀』の内容は、亡命してから100日経過しても自首してこなければ、絞首刑という事である。
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宣明:宣言して明らかにすること。
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宣命:天皇の勅命を宣すること。
800番歌の序文にある「山澤に亡命」と『続日本紀』に出てくる「山沢に亡命」が共通していることを東京の「多元的古代研究会」におられた富永長三氏が最初に気が付かれ唱えられた。その事に大変驚いて詳しく調べ直した。
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禁書と『日本書紀』の成立(養老4年)が関わっている。
(福永説):豊国の史書が手に入り、『古事記』『日本書紀』が成立したことが見えてくる。憶良、60歳の時である。この年に「大伴旅人が征隼人持節大将軍となり、大隅・日向の隼人全滅。」させた年でもある。
さらに、元正天皇の養老改元の宣命には、「山沢に亡命し、禁書を挟藏して」とある。この「禁書」とは、どのような物でしょうか?
この時の元明天皇は天武朝の天皇であり、その天皇にとり都合の悪い書物(禁書)とはどのような書物ですか?
天智朝から天武朝に王権が変わった後の時代であるから豊国(倭国東朝)の歴史書・史書とかの類いでしょうか? つまり、筑紫君薩野馬(後の天武天皇)の王朝では、筑紫国の事が中心であるから豊国の事は色々な意味(文化的にも)で消されていく。だから、豊国の記録が天武朝の天皇である元明天皇にとっては、タブー(taboo)の書であった。
和銅改元の宣明は、「これらの禁書を早く出せ」という命令である。筑前守の山上憶良が嘉麻に居た時の「山沢」とは、何処の山に逃げ込んだのであろうか? この「山沢」に亡命した者が、何故、豊国の歴史書等を所有しているのか謎である。
次の元正天皇の養老改元の宣命にも「山沢に亡命し、兵器を藏禁して」と命令がつづく。この事が正史である『続日本紀』からもわかる。
また、『飛鳥浄御原令』の賊盗律4の中にも「山沢に亡命して」の一句がある。これは、謀反(ゲリラ戦)を起こしている者を取り締まる令である。
この謀反が、何処で起こっているのか? 筑前守である山上憶良がいる近い場所で謀反が起こっている。その「山沢」の場所は、英彦山だと思われる。この写真で示したような修験道の山伏がそもそも軍隊である。元明天皇・元正天皇の朝廷にこの山伏が謀反を起こしていると考えている。
山上憶良の「嘉摩三部作」の最初の800番「惑へる情を反さしむる歌」は、「山沢に亡命」して「謀反を起こしている者に対して迷っている心を元に戻させる」という意味の歌である。
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解釈の中で記した「天界」というのは、序文で説明してきた「山沢」の事である。亡命している山沢にいるよりは、天皇が治めている所に戻ってくるように呼びかけている。
ハッキリ言って「山澤に亡命する民に無駄な抵抗を止めて投降しなさい」と呼びかけてる歌である。
反歌の801番歌も優しい呼びかけとなっているが、要するに「山澤に亡命する民に無駄な抵抗を止めて投降しなさい」と云っている歌である。
ここに載せた写真「天道駅(飯塚市天道)」は、筑前守の山上憶良がいた場所からは近い。「山澤(英彦山)に亡命した民」の中には、この辺りの出身者も多くいたのであろう。だから、この歌にある「天道」は、地名の「天道」ではないかと。歌に「家に帰ってこい」と詠われているから「神功皇后紀を読む会」の一人が言ってきたように地名と考えた。それで、ここの「天道駅」の写真を載せた。これは少し恣意ではあるが。