倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
記紀万葉研究家 福永晋三
「万葉集」巻第五 804番・805番
(老いや死は避けられない。得策かと亡命者へ呼びかけた歌)
804番・805番歌が、山上憶良の「嘉摩三部作」の3作目「世間の住り難きを哀しびたる歌一首」である。
この歌にある「序文」の意味はまだ解き明かしていないのでここでは、載せていません。
802
805
冒頭の序文にもあったように「人の死は避けられない」事が詠まれていて、山上憶良は、儒教や仏教に対する造詣が深い。
反歌でも「老いや死は、世の常であり、留めようが無い」と詠まれている。その死を留めようも無い世の中で、「頑なに山澤の亡命」して時の朝廷に逆らって生きることが得策かと呼びかけた歌である。
「嘉摩三部作」は、徹底して「山澤に亡命する民」に自首(投降)を呼びかけようとした歌である。これらの歌が、山上憶良の神龜五年七月廿一日に嘉摩郡で選定した歌である。
写真は、嘉麻市の鴨生公園内にある「嘉摩三部作」の碑であり、そこに801・803・805番の反歌三首が刻まれている。
「嘉摩三部作」における「山澤に亡命する民」というのは、英彦山に亡命した者(山伏たち)であり、何故その地で抵抗を続けているのか?
その原因は、元正天皇の御世、養老4年(西暦720年)に「大伴旅人を征隼人持節大将軍とし、大隅・日向の隼人を全滅」させた事件にあったと思われる。
それは、英彦山に亡命した者(山伏たち)の信仰対象と大隅・日向の隼人たちの信仰対象とが、同じだったようである。英彦山の中岳は、瀬織津姫(大祓の神)が祀られている。そして、隼人たちも瀬織津姫を信仰していたようである。
英彦山の亡命した者たちは、天武朝の元正天皇の朝廷によって、隼人たちが全滅にあった事が許せなかったので、謀反を起こしたという事が見えてきた。