倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」 於:小倉城庭園研修室 記紀万葉研究家 福永晋三
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「万葉集」巻第一 雑歌 40番〜80番
(40・41・42番)
幸二于伊勢國一時、留レ京柿本朝臣人麻呂作歌
(43番)
當麻(たぎまの)真人(まひと)麻呂(まろ)妻作歌
(44番)
石上(いそのかみ)大臣従駕(おほみともにして)作歌
⇒
伊勢国は、苅田(かんだ)町辺り
(50番)
藤原宮之役民作歌
(51番)
従二明日香宮一遷二居藤原宮一之後、志貴皇子御作歌
(52番)
(53番)
藤原宮御井(みゐ)歌
短歌
二つの藤原京が詠まれている
(63番)
山上臣憶良在二大唐一時、憶(おもひ)二本郷(くに)一作歌
第8次遣唐使の時に詠んだ歌
(70番)
太上天皇幸二于吉野宮一時、高市連黒人(くろひと)作歌
*1
太上天皇:持統天皇
*2
大行天皇:文武天皇
(72番)
大行天皇幸二于難波宮一時歌 (式部卿藤原宇合(うまかひ))
難波宮から吉野宮へ船で行幸
(78番)
和銅三年庚戌春二月、従二藤原宮一遷二于寧樂宮一時、 御輿停二長屋原一逈望二古郷一作歌 (一書云太上天皇御製)
(79番)
(80番)
或本、従二藤原京一遷二于寧樂宮一時歌
反歌
寧樂(なら)宮は、桂川町にあった