倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
      於:小倉城庭園研修室  記紀万葉研究家 福永晋三


 豊の国万葉集⑨ 「山部赤人」
(令和5年5月18日 於:小倉城庭園研修室)

 「 山部宿祢赤人 明日香と吉野を詠う 」の動画の内容を掲載したページです。

 「万葉集」巻第三 雑歌 324番・325番 
          (明日香の古き都は、香春町古宮ヶ鼻の菟道宮?)

 『万葉集』巻3に山部赤人が詠んだ「明日香の古き京師(みやこ)」の歌がある。その歌の題詞が「山部赤人が神の山に登って作った歌」となっている。その「古き」の原文は「京師」となっている。

 そして、題詞には「山部赤人が、神の山に登って作った歌」となっている。その歌の中には「春の日は ・・・ 秋の夜は ・・・」とか、「朝雲に ・・・ 夕霧に ・・・」の見事な対句が見られる。
 赤人は、景色を述べる歌、叙景歌に強いという非常に優れた才能がある。

 明日香の古き京師
 神岳山部宿祢赤人作歌一首 并短歌
 三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継嗣尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之旦雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者

324

 みもろの 神なび山に 五百枝(いほえ)さし しじに()ひたる (つが)の木の いや継ぎ継ぎに 玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 音のみし泣かゆ いにしへ思へば

 次に324番歌の冒頭の「三諸(みもろ)」であるが、「諸(しょ)」という中国の訓読みは、「」であった。だから、「三諸(みは)」と読めるからこれは「三諸(みは)」であった。これが、「三輪(みわ)」と変わっていった。
 だから、三輪山といえば、写真の香春岳しかない。奈良県桜井市にある三輪山は、一輪の山で三輪山ではない。
 したがって、この324番歌も田川(香春)の地で詠まれた歌であった。

 「みもろの神なび山」が三輪山(香春岳)であれば、「明日香の古き(みやこ)」の候補の一つが、神武天皇の橿原宮跡だと考えている香春町高野にある鶴岡八幡宮である。

『新版 漢語林』(大修館書店)
『新版 漢語林』(大修館書店)「諸」の部分

昭和10年の香春岳

香春岳(三輪山 = 倭三山)

「写真:鶴岡八幡宮より香春一ノ岳を望む」

鶴岡八幡宮の鳥居(左奥に香春一ノ岳)

 明日香の古き京師
 みもろの神なび山に多数の枝を差し出し、繁るツガの木々。次々に延びてゆくカズラのように絶えることなく、ずっと通い続けてお勤めしたい明日香の宮。この古い都は山は高く、川は雄大。春の日々は山を眺めていたい。秋の夜は川が清らかで朝雲に鶴が乱れ飛ぶ。夕霧どきは蛙が騒ぐ。見るたびに泣けてくる、遠い昔を思うと。
 反歌
 明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尒不有國

325

 明日香河 川淀さらず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに
 明日香川に淀んでいる川淀(かわよど)の霧はやがて消え去る。旧都(明日香京師)への思いがその霧のように晴れていくものならばなあ。

 もう一つの「旧都(明日香京師)」の候補地が、上記の地図にします香春町古宮ヶ鼻である。ここに宇治(菟道)宮を建てた天皇が二人いた。宇治天皇(真実の仁徳天皇)ともう一人がなんと柿本人麻呂の主君であった天智天皇である。
 人麻呂は、天智天皇の挽歌を詠んでいた。2重構造の挽歌として紹介した巻1の29番歌である。この赤人の詠んだ324番歌は似ていると思える。

 赤人は、天武天皇の血筋を引く聖武天皇に仕えた歌人であるが、柿本人麻呂が仕えた天智天皇の御世を恋しがった歌のように思える。最後に「遠い昔を思うと」と詠んでいるが、まだ約100年ほどしか経っていない。しかし「明日香の古都」は、天智天皇の宮を指しているように思えてならない。