倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
於:小倉城庭園研修室 記紀万葉研究家 福永晋三
「万葉集」巻第三 雑歌 338番〜350番 (楽しい酒を詠んでいなかった)
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339番で「酒の名を聖人とつけた昔の大聖人の言葉の何とよいことよ」と詠っている旅人は、『三國志』魏志徐邈傳と読んで理解している事は明らかである。「昔の大聖人」とは、徐邈の事である。
旅人は、我々現代人には想像もつかないほど漢籍に精通していた。熟知していた人物であり、『三国志』は、全て読んでいたかも知れない。
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阮籍(三国時代の魏王朝の末期の人物)は、青眼と白眼を使い分けることができたというが、魯迅は白眼は出来ないと云っている。
これが、気に入らない人物を冷遇することを白眼視するという言葉の由来になった。
旅人は、中国の古典を隅々まで読んでいる。
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下記は「世説新語」:中国南北朝時代の南朝宋の臨川王劉義慶が編纂した、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた文言小説集。
343番歌に関する中国の古典がある。それがマイナーな『琱玉集』である。ここの載せている原文(白文)が、国立国会図書館デジタルコレクションにある。それを書き下した。
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「琱玉集」:唐代に作られた私撰の類書の一種で、さまざまな書物に見える逸話を分類して配列したものである。 巻12と巻14のみが日本に残る。
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「鄭泉」:『三国志』呉書に出てくる実在の人物である。
だが、『琱玉集』巻十四 嗜酒篇に書かれているこの鄭泉の話は、『三国志』呉書には書かれていない。
旅人が、343番歌で「酒壷になりたい」と詠でいるが、『琱玉集』の「嗜酒篇」に「酒瓶と為り」との話がある。中国の古典が元となっている歌である。
「酒を讃える歌」から旅人が漢籍に精通していたことが、明白である。そして、旅人は、漢籍の話の内容を短歌(五七五七七)の中に入れ込んで詠んでいる。歌を詠む技術も凄い! 旅人の凄さを再認識させられた。
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346番歌の古典の出典は、『史記』魯仲連鄒陽列傳の中にある「隋侯」の話が、『万葉集』の解説書(『文選』呉都賦の注か)の中にある。
346番歌で詠まれた「夜光る玉」だけを見ても旅人が、中国のマイナーな古典にまでも精通してたる事が分かる。したがって、『史記』等は、全て読んでいたとも思える。旅人は非常に教養が高い。
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「魯仲連鄒陽」:中国戦国時代の遊説家。
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「文選」:中国南北朝時代の南朝梁の蕭統によって編纂された詩集・文集。
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「随侯」:春秋時代に存在した周代諸侯国である随国の国君。
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「三都賦」には、「蜀都賦」、「呉都賦」、「魏都賦」があり、当時の三都の情勢、物産、制度等を描いている。
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「輪廻転生」:亡くなった魂が生まれ変わり、死と再生を繰り返すという考え方。
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「五戒」:仏教において在家の信者が守るべき基本的な5つの戒めのこと。
その一つが、不飲酒戒(酒を飲むな)。
348番歌で「虫に鳥にも我れはなりなむ」と詠まれているから、「藤原実方の執心雀となるの図」を入れた。旅人と直接には関係ありません。
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「新形三十六怪撰」:幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師・月岡芳年による妖怪画の連作。
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「藤原実方」:平安時代中期の貴族・歌人。官位は正四位下・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。
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「涅槃経」:釈尊の入滅されるその日の最後の説法を通して、仏教の根本思想を伝える経典である。
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「純陀品」:仏教の経典である『大般涅槃経』の品目のひとつで、釈尊の最後の供養者である純陀について記されている。
「大宰帥大伴卿の酒を讃むるの歌十三首」の中に「酔ひ泣き」が、341番・347番・350番の3首に出てくる。旅人は、よほど「泣き上手」だったのでしょうか?
旅人は、徹底的に酒を飲もうよと詠っているが、本当は楽しい酒ではない。心の奥には深い深い蟠りがある。政治的にも妻を失ったことも心に重い重い何かが占めている。その気持ちを晴らすには酒しかない。
旅人は、その酒を中国の古典や仏教の教え等を参考にしながら「五七五七七」の短歌形式で十三首を連作で纏めて詠んだ。
この十三首で詠んだ歌から旅人は、酒で憂さを晴らすことは出来ない。心の奥底は、本当に暗く重苦しいと訴えただけである。