倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
於:小倉城庭園研修室 記紀万葉研究家 福永晋三
「万葉集」巻第二 85番〜88番 (宇治天皇の皇后、髪長媛の歌四首)
『万葉集』巻第二は、「相聞」で始まる。特に恋の歌が多い。
冒頭の85番歌の題詞には、少し文字で「大鷦鷯天皇、謚曰二仁徳天皇一」とあるが、福永説の「真実の仁徳天皇」で唱えている通り大鷦鷯天皇は、仁徳天皇では無いので、取り消し線を入れてカットしている。
その大鷦鷯天皇の皇后が、桓騎の強い、ヤキモチ焼きな性格である磐姫皇后と書かれているが、これも違い宇治天皇の皇后である髪長媛皇后が、菟道稚郎子(後の宇治天皇)を思って詠まれた歌であるとした。
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86番歌に出てくる「高山」は、「たかやま」と詠ませているが、13番歌にある「高山」は、何故か「香具山(かぐやま)」と詠ませる。
であるならば、『古事記』仁徳記に書かれている「高山」も「かぐやま」と読ませた。
最初の国見をしてから『古事記』では、3年後に国見をしているが、『日本書紀』では、七年となって改竄されているので、訂正した。
この13番歌にある「中大兄」は、お馴染みの天智天皇である。その三山歌というのは、倭三山の歌であるから、「高山波」を万葉集では「かぐやまは」と詠ませている。
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この13番歌で詠まれている「高山」をそのまま「たかやま」と読める山が、行橋市にある「幸ノ山」である。
歌にある高山は、大鷦鷯天皇の事であるが、「高山」とある場合には、「かぐやま」でもあるし、「たかやま」でもある事に気が付いた。この二重構造に気が付くまでに相当苦労した。
福永説でいう偽物の仁徳天皇である大鷦鷯天皇が、宇治天皇の皇后である髪長媛に横恋慕し、宇治天皇を自分の土地でも国見をして欲しいと行橋市の高山(幸ノ山)まで誘い出した。
その宇治天皇が、三度目の国見をして高山から下山したところをある建物に閉じ込めて撲殺してしまったらしい。
そして、非常に別嬪だと聞いていた髪長媛を奪い取ったのである。その歌が、『日本書紀』仁徳紀に残されている下記の歌謡である。
歌謡でわかるように大鷦鷯天皇は、髪長媛の美しさを知らない。「恐ろしいほど美しいと噂が高かった」と詠まれている。そして、大鷦鷯天皇は、異母弟である宇治天皇を殺害してまで髪長姫を奪い取って有頂天になっている。
ハッキリ言って、これは下種な歌である。この歌を詠まれ大鷦鷯天皇が、「民のかまど」を本当に心配なされた仁徳天皇でしょうか? 歌に詠まれた内容は、絶対に合わない。大鷦鷯天皇の人格は、「仁徳」ではない。通説でいう「仁徳天皇」であれば、二重人格である。
宇治天皇が「真実の仁徳天皇」であり、大鷦鷯天皇に殺されたという事がわかった。
※
歌に詠まれた「古波儾嬢女」が、髪長媛皇后であるという事が、『山城國 風土記』から分かる。宇治天皇が宮を造った地「宇治」が、「許の國」とある。「許の国」の「端」あるいは「傍」にある村が、「木幡村」である。
したがって、「古波儾嬢女」は、「木幡(=宇治宮)の嬢女」、つまり宇治天皇の皇后である髪長媛を指していた。
また、『古事記』應神天皇記の中の「故、到二坐木幡村一之時、麗美孃子、遇二其道衢一。」にある木幡村こそ宇治天皇の父應神天皇と母宮主宅媛が出会った村であり、現在の香春町古宮の地である。
巻第二の85番〜88番歌の復習である。この連作四首は、唐詩に見られる「起承転結」の構成を採っている。
「起」に当る85番は、「宇治天皇の高山からのご還御が遅いのを不安にお思いになる。」
その85番歌を解釈した中に「高山に国見をなさりに行幸遊ばされ」とあるように高山は、現在、行橋市では「幸ノ山」と呼ばれている。
「承」の86番歌で、「宇治天皇の突然の死を嘆き悲しみ、共に身罷ろうとされる。」
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「転」の87番歌で、「宇治天皇の死の真相を知り、一転して生き続けることを決意される。」
だから、上記の『日本書紀』仁徳紀の歌謡が残されている。
起承転結の「結」に当る四首目の88番歌で「宇治天皇への愛情を抱き続けながらも、自らの暗い運命を嘆かれる。」
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88番歌の冒頭「秋の田の」からも分かるように、百人一首の一番歌、天智天皇の「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」も仁徳天皇(宇治天皇)の故事がモデルである。