倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
記紀万葉研究家 福永晋三
「万葉集」巻第五 892番・893番
(天智朝から天武朝に変わり、貧困に喘ぐ生活を訴えた歌)
山上憶良は、幼少期から12歳の頃までは天智天皇の御世で過ごしたかも知れない。しかし、西暦672年に勃発した壬申の乱により天武天皇が、勝利し世の中が劇的に変化したのかも知れない。
山上憶良の歌は、何となく天智天皇の御世を恋い慕うような詠い方が見られる。天智天皇は、『百人一首』1番歌の歌に見られるように、宇治天皇(真実の仁徳)と同じく民を思いやる政治をしていたのかも知れない。
それが、天武朝の御世に変わり「山澤に亡命する民」は出てくるとか、大隅・日向の隼人族が全滅にあうとかきな臭い、または、血生臭い世に変わったと考えた時に山上憶良のこの「貧窮問答歌」が需要である。
892
匚
口
892番歌の「風交り」から始まる前半部が、「貧窮問答歌」の山上憶良の貧窮の問いである。そして、「天地は
」からの後半部が、山上憶良の貧窮の答えである。
この歌は、『万葉集』の中でも独特の歌である。律令制と云われる時代の当時の人々の暮らしを鮮明に詠った歌は他には無い。
亻
弖
次が、山上憶良自身よりの貧しい人々の貧窮の答えである。
「貧窮問答歌」から律令制のこの時代は、完全に行き詰っている。天智天皇の御世からは、この山上憶良の歌から分かるように衰えていた。税を取られるばかりの生活である。
山上憶良とは、どのような人物であろうか? 官僚でありながら民を思いやる歌を詠んでいる。仁徳天皇の御世でもわかるように国の基は民であるが、奈良時代と云われる律令制のこの時代の実情はこのようなものである。人々は、重税に喘いでいるが、逃げ出すことも出来ない。
口分田という農地を与えられるが、租税を納めなければ、里長から鞭うたれる。他に庸、調の税もあり、簡単に租庸調と習うが、惨い内容である。その内容を山上憶良は、892番・893歌で詠まれている。