倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
               記紀万葉研究家  福永晋三

    

「万葉集」巻第五 雑謌(ざふか)

 以下、「山上憶良」の歌

(序文)

(794番)

 日本挽謌一首

(795〜799番)

 反歌

 神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良(たてまつる)

  山上憶良の「嘉摩(かま)三部作」

(800番)

 令或情謌一首 并序

(801番)

 反歌

(802番)

 思子等謌一首 并序

(803番)

 反歌

(804番)

 哀世間難一レ住謌一首 并序

(805番)

 反歌

 神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定。筑前國守山上憶良

 梅花謌卅二首 并序

(818番)

 筑前守山上大夫

(822番)

 主人

(892番)

 貧窮問答謌一首 并短謌

(893番)

 短歌

 山上憶良頓首(とんしゅ)(つつし)みて(たてまつ)

頓首:手紙の終わりに書いて相手に敬意を示す語。

「万葉集」巻第六 雑歌(ざふか)

 以下、巻第6・雑歌の「山部赤人」歌

(923〜927番)

 山部宿祢赤人作訶二首 并短訶

(938〜941番)

 山部宿祢赤人作訶一首 并短訶

(942〜945番)

 過辛荷嶋時、山部宿祢赤人作訶一首 并短訶

(946・947番)

 過敏馬浦時、山部宿祢赤人作訶一首 并短訶

(960番)

 帥大伴卿遥思芳野離宮作歌一首

 (そち):大宰府の長官

(978番)

 山上臣憶良沈痾之時謌一首