「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
[118年 神武東征(第二次東征は、菟狹にまわり英彦山を越えて、倭奴国を攻める)]
※ 再発見 新発見 田川 川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡
(令和元年十月二七日(日)、主催 豊の国古代史研究会 、於 川崎町勤労青少年ホーム )
のパワーポイントに更新
■ 『日本書紀 神武紀』の記述
■ 第二次東征は、「日を背にして戦う神策」を実行
したがって、筑紫(博多湾)方面から速吸門(関門海峡)を通り、大迂回して菟狭に入り、 求菩堤山 の「頭八咫烏」
と同盟を結び、その頭八咫烏の案内で東征を開始する。
■ 「狹野」の越えて = 狹野嶽が、 求菩堤山