「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 近津(ちかづ)神社 = 近津:近つ淡海の国/成務天皇の志賀の高穴穂宮跡か

 福永晋三先生の『魏志倭人伝と記紀の史実-「伊都能知和岐知和岐弖」考』の資料「 魏志倭人伝と記紀の史実 」の14ページに『直方市東部に「近津川」、「近津神社」があり、近津:当時の都からの「近つ淡海の国」と捉えている。』の記述があります。

※ 近津神社の拝殿の手前左の石碑に「成務天皇」の名前がある

「写真」

 成務天皇は、古事記によれば、近淡海(ちかつおうみ)(古遠賀湾)の志賀の高穴穂宮(たかあなほのみや)(直方市頓野の近津神社)で天下を治めたとある。
 筑豊の大乱後に復興に務めた天皇であろう。

 

 『 新説日本書紀(やまとのふみ)   第16回(8月18日)成務天皇 『筑豊の大乱後、復興に務める』もご参照下さい。

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