「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 香春の神と天皇 (その2)
(令和6年4月6日(土) 香春町郷土史会例会)
卑弥呼の死後の倭国については、『翰苑』の中の「謝承後漢書」に「卑弥呼、死更立男王、國中不服、更相誅殺。」という記事がある。
また、土蜘蛛について、田川には『日本書紀』と異なる現地伝承がある。その一つが、田川市猪膝に残る「土折居折が日本武尊から討たれた」という話で、「猪折を切った太刀を洗った」という太刀洗の井戸が、町の出入口の道路そばにある。
そして『景行紀』にある「川上梟帥が曰本童男へ日本武尊の名を与えた」という記事を考えた時に「二人の日本武尊」の考えに至った。
その時に川崎町安眞木に川上神社が存在するという情報を得た。
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