「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
土地の名前が、夏羽焼(なつはやき)、夏焼(なつやき)と呼ばれていたが、。江戸時代になって小笠原忠眞が若八幡神社を
参詣された時、不吉な 村名の「夏焼」を「夏吉(なつよし)」に改め現在に至っています。
■ 『日本書紀 神功紀(太歳辛巳年=摂政元年の前年の三月)』
なつ は
やまとのあがた
夏羽は、館に逃げ帰り篭っていたところを追ってきた神功皇后の軍勢に焼き殺された。焼き殺された場所が、
岩屋鍾乳洞 。
以下、『越境としての古代[6]』の「もう一系の太陽神(にぎはやひ) 本野嗣郎」より引用
「地名辞書」によれば、田川郡・夏吉村は「今金川村と改む、香春の西に接す。国誌云、夏吉村は日本紀に高羽と
いう所なり、神夏磯姫の塚と伝えるもの、八幡祠の南に在りて、方族香春隠しと呼ぶ」とある。
角川日本地名大辞典に「夏吉村に鎮守の若宮八幡神社があり、祭神は神夏磯媛ほか二神とある」。地名辞書の
「八幡祠」とは、若宮八幡神社のことである。
また、「中世には夏焼きと称した。・・・神夏磯媛が皇軍を迎え一族の夏羽田油津媛を掃討した。その際、夏羽は
当地で焼き殺されたため夏羽焼きの地名が起こり、それが約音されて夏焼となったと伝える」。
夏吉村には岩屋(ごうや)と呼ばれる鍾乳洞があり、ここが夏羽の終焉地との伝承もある。
※ こちらが、「神功天皇の征西」のページに続く、穴門豊浦宮からの「 氣長足姫尊の豊国北伐 」のページです。
※ 福永晋三先生のタイトル『東西五月行(統一倭国)の成立』の「 資料:東西五月行の成立 」の18ページの
鯷倭(しわ)の興亡に「神功天皇(神功皇后) の征西」に「松浦鼎の熊襲を滅ぼす」の記述がありますが、
2016年3月講演『初代神武天皇は田川で即位した』以降は、下記の内容に修正されています。
肥前松浦は、神功皇后に滅ぼされた勝門姫の一族が、西に移動した後の松浦であった。
田中和典さんの再発見と新発見です。田中さんの実家の糸島の宮地岳神社の祭神が勝門姫ということが
判明したのです。
仲哀天皇記は魏志倭人伝のマツロ国が最初から宗像の地である事を証明していました。肥前松浦を
マツロ国に比定した説はすべて間違いとの結果が出ました。
勝門姫は宗像の「 釣川 」のほとりで殺されたようです。私の説も肥前松浦ではなく、筑紫松浦の事件と
修正します。
※ 「楽浪郡~倭奴国まで12,000里 ⇒ 帯方郡~邪馬台国まで12,000里に変わる」のページの『隋書』「俀国伝」に
「東西五月行」の記述があります。
※ 『神功皇后の戦略(永井功著)』より主として筑豊関係の伝説から想定される「 神功皇后御行動図 」です。
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