「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 白鳥神社 = 伝教大師(最澄)の伝える日本武尊の伝承(平安時代の伝承)

<白鳥神社(田川市伊田)>

※ 白鳥神社(田川市)社伝
延暦年中(七八二年~八〇六年)、伝教
大師【最澄】が入唐し学行を終えて帰朝の
途中、海中の船路先に白鳥が飛び、ある夜
大師の夢の中に白鳥が現れ「自分は日本武
である。
 汝の船路を守り、身を守護するから昔麻
剥を討つために行
った豊前国の高羽
川の川辺
に自分を
齋き祀れ」と告げ
たといいます。
 大師は帰朝後、
高羽川の川辺を尋
ねた所、白鳥が飛
来し、伊田の里
(現:田川市伊田
とその付近)の真
中の山に止まりま
した。
」。
「写真」

 伝承に云う「伊田の里」の地に建っているのが、最澄が建てたこの白鳥神社である。最澄は、昔、この地に
景行天皇と日本武尊が来たという感想を文書に残している。
 『日本書紀』に記されている内容は、全部本物じゃないでしょうか。平安時代になってもまだ日本武尊を慕う
最澄が伊田の地に神社を建てた。

 

 新説 日本書紀(やまとのふみ) 第15回(8月4日)景行天皇② 『日本武尊の邪馬台国防衛戦』もご参照下さい。

 

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