「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 新説 日本書紀 (やまとのふみ) 福永晋三と往く③(西日本新聞 筑豊版 平成30年2月17日(土))より
■ 素戔鳥尊の須賀宮は、 内野老松神社
宋史日本国伝が伊弉諾尊の次の王とする素戔鳥尊は
八雲立つ 出雲八重垣妻 籠みに 八重垣作る その八重垣を
の歌を須賀宮で詠んだ。
この宮は須賀神社が密集する点から、飯塚市内野の内野老松神社ではないかと思われる。
その後、矢俣の大蛇一族を退治し、 筑豊に出雲王権を建てたとすれば、八雲とは筑豊で行われていたであろうたたら製鉄の
大量の煙を指したものかもしれない。
内野老松神社近くの国道200号を北に約6キロ進んだ所には「出雲」という交差点もある。
■ 素戔鳥尊の 豊国北伐 倭国(豊国)北伐考(平成28年3月21日、於 久留米大学)講演より
素戔鳥尊の矢俣遠呂智退治は、南の安心院( 須賀の宮 )を出て、北の 天香山 周辺(近くに 神鏡製造所跡「清祠殿」 がある)の
八俣遠呂智一族(すなわち八幡神の長か?)を討伐した出来事である。 ⇒ 「出雲王朝の成立」
その出雲王朝は、饒速日尊(天照大神)により倒された。素戔鳥尊は、饒速日尊(天照大神)に 岩屋 の前で処刑された。
矢俣遠呂智の尾から出てきた劔は、『古事記』では「都牟刈の太刀」。『日本書紀』では、「天叢雲劒」。これが天皇家の
三種の神器の劔「草薙の劔」であり、日本武尊の草薙の劔とも深く関わる 八剣神社が筑豊地方に濃密に分布する。
※ 崗縣さんの作成した筑豊(遠賀・鞍手地域)にある八社の八剣神社のマップは、 こちら です。
福永先生によるとヤマタノオロチ伝説とは、福岡県北部の八俣遠呂智一族をスサノオが征伐した歴史である。大蛇の尾は
何本か?奪った鉄剣は最低でも8振存在した。
故に八剣。遠賀・鞍手地域には「八剣神社」が濃密に分布する。ピッタリ8か所。
草薙劒、元の名は天叢雲劒。天村雲尊=八幡神の長の所有であったと考えられる。矢俣(yamata)と八幡(yabata)は
m音とb音の交替である。
福岡県東部から大分にかけて八幡神社が最も密集すること、北九州市に八幡区があること、ヤマタノオロチ退治の神楽が
全国で一番濃密に分布するのも、福岡豊前の地であること。これらは偶然とは考えられない。
■ 「草薙の劔」の伝承
『日本書紀』
天智天皇七年(六六八年)春正月丙戌朔戊子(三日)に、皇太子即天皇位す。 或本に云はく、
六年の歳次丁卯の三月に位に即きたまふ。
是歳、沙門道行、草薙剣を盗みて、新羅に逃げ向く。而して中路に雨風にあひて、荒迷ひて帰る。
福岡県鞍手郡鞍手町中山の八剱神社に同じ伝承があり、草薙の劒はこの宮に保存されていたとの言い伝えがある。近くの
古物神社 にも草薙の劒が降って来たとの伝承がある。
<所在地のGoogelマップ>