「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 笠置(かさぎ)山 =「天照大神こと饒速日尊」が降臨

 笠置山

「写真」

 

 天神降臨

 天忍穂耳の長男、「天照(あまてらす)国照(くにてらす)彦天火明(ひこあまのほあかり)櫛玉(くしたま)饒速日(にぎはやひの)(みこと)」が、三十二将・(あめの)物部(もののべ)等二十五部族を率いて 豊葦原の水穂の国 に降臨。

『先代旧事本紀』(天神本紀)

 鞍手郡宮田町磯光に鎮座する  天照宮 社記等より垂仁天皇 十六年( 紀元前十四年 天照大神こと 饒速日尊 笠置山(425m)に降臨。 =(天神降臨)

 (あめの)火明(ほあかりの)(みこと)迩迩藝(ににぎの)(みこと)とは、 兄弟 である。

 長男「天火明命」とは別に次男「迩迩藝命」が、五伴の緒(五つの部族)を率い、竺紫(ちくしの)()向之(むかの)高千穂(たかちほの)久士布流多気(くしふるたけ)に降臨した。 (記)=(天孫降臨)

 迩迩藝命(瓊瓊杵尊)の天孫降臨は、  今山の石斧の地 のことであり、 板付水田   菜畑水田 を侵略したものであろうと思われる。

 旧唐書にいう「古の倭奴国」、万葉集に詠う「そらみつ(やまと)」の源流を、笠置山とその周辺(福岡県鞍手郡を中心とする遠賀川流域、いわゆる筑豊地方)を「 天満倭国 」に比定しています。

豊葦原の水穂の国」=「天満倭国(虚見倭)」=「倭奴国」

<参考情報>

 饒速日尊は、最初に 宮地獄神社 の地に降臨し、その後 古遠賀湾 に入り、笠置山へ降臨。その年が、「 邪馬臺国(邪馬台国)年表 」の前14年です。

 福永晋三先生のタイトル『天香山事件』の資料「 天香具山争奪戦 」の中に「天神降臨=倭国の草創」の1ページに「饒速日、笠置山に 降臨」の説明があります。

 鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)・射手引神社社伝による神武東征の地( 東征コース  V:笠城山)

 

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