て宗像の沖合に将く時に暫く駐まりて、其の属神をして石を其の北の尾鼻に一夜にして成さしむ。故に強石明神の名有り。其の後姫遂に海北道中に遷り永遠に道主貴と成る。天皇も亦今宇佐島より出発して、中州に向かはんとす。宜しく日尾の頂に駐蹕し、其の神を祭り、其の築石を看に行くべくして、啓行有るなり。)是に天皇諸兄と皆其の山に登り、駒主の厚礼の如く祭る。時に奇異なるかな、霊鳥刹那に雲間より舞い降り、古松の梢に停まり、鳴きて曰はく、「伊邪佐〻〻〻」と。此くの如く三声鳴き畢はりて、又西南に遙かに飛び去るや、天皇之を望みて曰はく、「神の使ひなり。尾行すべし」とのたまふ。(故に因りて時の人号けて是を烏尾と曰ふ。又、其の神を尊び烏尾明神と崇め奉る。後世所謂筑