「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
以下、『新説日本書紀(第10回、2021年12月17日)』講座動画の画像より
▶ 『神武紀』に書かれている「城田」の地は、『倭名類聚抄』(平安時代)にある「城田郷」であり、その地名が、鎌倉時代には「金田荘」に変わっている。動画は こちら からご視聴頂けます。
※『日本書紀 神武紀』に書かれている「城田」の地 ・・・→ 福智町金田?
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日本書紀に書かれている「城田」の地名と同じ地名が、平安時代中期に源順が編纂した辞書である『和名類聚抄』の中に田川郡があり、そこの一つに城田郷がある。
その場所は何処か? googleマップで示す通り福智町の金田周辺である。ここは、『田川郡誌』に書かれた13ヶ村のひとつ金田村である。
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平安時代の『和名類聚抄』には、城田郷であった土地が、鎌倉時代には金田荘に変わったという仮説である。
この「金田荘」の読みは、「金田(きた)」である。というのは、香春町を流れている金辺川は、「きべ川」という。だから、「金田荘」は、本来「きたの荘」であろう。
福智町金田が、神武紀にある「城田」であると気が付いた。